未知日記霊話集千三百五十八回 大霊界 然る時は無言詞の霊は、汝等諸子に正しき明めをおくりて悟らしむるならん。汝等諸子は無言詞階のある事を知らず。徒に言詞界にのみ生存して、その所にて長く安住せんとはかり居るにてはあらざるか。故に何日迄暮し居りても安き日はなかるべし。不安定の所に居を占めて安からんと計るは危きこと此上もなからん。今一歩なり。その一歩を安住の所に運びて生涯を安穏に送りては如何。安住の地は目前にあり。遠からざるべし  教主寛大講義



未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の壱                          NO 41
形を変へたる霊魂と無始終階との関係
その3     
          教主寛大 講述



 物事を明らむると云ふは、すべて無言詞階にあるなり。明らめ難きは心にして、無言詞階にまかすことをなさざるによってなりと思ふ時、すべてを無言詞階の方向にまかせ見よ。然る時は正しき明らめを与へて悟るらしめ呉るるに至らん。一言にて云へば斯くの如き結果なれど事実にうつせば、其は容易の事にあらず。故に修養修行は大切なり。修養とは己が心を霊にまかする方法にして、修行とは霊より教へを受けて法を学ぶ術なりと思ふも可ならん。所謂霊に修し、心に行ずる事を意味すと知るべし。未知日記に於てすべてを親に相談せよと示しあるも、皆この理を教へたるにすぎず。汝等衆人は他人より讒謗せられたりとて怒り褒めそやされしとて喜ぶ。何と云ふ戯れたることぞ。我、斯く語らば諸子は云ふならん。人間には自尊心の具備(そなはり)あるによって、謗らるれば怒り、賞賛さるれば喜ぶなりと答ふるならん。然らば謗らるるも褒めらるるも、其は汝等にとりて何になることぞ。怒りて心に傷け、喜びて一時の快感を覚ゆるのみにてはあらざるか。考へかたによっては実に滑稽至極の事なり。然らばその自尊心なるものは何処より現はれ来りしやを考へしことありや。是等の事柄をよくよく考慮して、すべてを無言詞の霊にまかせ見よ。然る時は無言詞の霊は、汝等諸子に正しき明めをおくりて悟らしむるならん。汝等諸子は無言詞階のある事を知らず。徒に言詞界にのみ生存して、その所にて長く安住せんとはかり居るにてはあらざるか。故に何日迄暮し居りても安き日はなかるべし。不安定の所に居を占めて安からんと計るは危きこと此上もなからん。今一歩なり。その一歩を安住の所に運びて生涯を安穏に送りては如何。安住の地は目前にあり。遠からざるべし。是即ち霊魂と無言詞界との関係の大体を語りたるなれば、この講をよくよく咀嚼玩味して修行の度を昴べしと奨むるなり。

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