覚者慈音382

未知日記 第十巻  帰途案内記




                      その38
 四流界の人類の生活について
 更に、三流界の人類の生活について                          
                  セイキヨウ貴尊 講述


 我は世人の世界(古代の日本)に生れて今は魄界の人類を監督なし居れり。かかる事を語るとも世人は我に信ををくこと難からん。魂界魄界の人ともならば通力は自在なり。是肉体の必要なきが故なり。我等も行ずることに依て霊空界(二流界)の人をも指導すべき任にあたることもあるなり。我等人界の指導終らば一流界更に神界に移さるる迄行ぜんことをひたすら願ひて任務をおろそかにせず働き居るなり。まして世人に於ては日々等閑に過しては勿体なしとは感ぜざるや。魂魄界の人ともならば実にめまくるしき修養修行をつみ重ねて、早く神界に入らんことを願ひ求めて行じ居るを我等はよく知る。人も通力を得ば汝等の世界より何れの界をも見学する力は具はりあるなり。然るに修養修行の道をあやまち居るに依てなすことを得ざるのみにて、あやまたずば事実見聞して、更に魂不滅の証明を自得すること難きにはあらざるなり。されば世人は正しき道を修め正しき道を歩みて、魂不滅の事実を知ることによってこそ、人の人たるべき任務をはたさるると悟りなば、空しきことに心を労せずして一路正道を歩むに不如と考ふべし。
 人智進みてその極致に達すれば三流界仮称魂魄界の人類の如く、総てを究め尽すによって空間に新しき世界を作り、其ところに住居をもなすことを得るなり。恰も世人が地上に家を建ると同様のことを、空間に於て自由自在に行ふことすら、なし得らるる程度迄、人智は進み居ると知らば、如何に汝等の智慧との隔が格段の相違あることに気附くならん。魂魄界の人類はなさんとすれば何事をも意の如く行ひ得るなり。キュの智慧迄進みなばかくも自由自在の行ひをなすことを得るによって苦みと云ふことを知らず。すべては安楽なり。世人の如く日々を危く暮すによって、苦みを招く恐れあれど、理を究めて誤たざる行ひをなさば総ては成就して、決して危険を伴ふ憂なきが故に苦まず、楽しくことを運ぶなり。キュの智慧そなはらば物事を行ひてあやまつことなく、あやまちなければ安楽なることは論ずる余地もなからん。例へば上らんと欲せば手足を動かさずして上昇し、歩まんとすれば手足を動かさずして目的のところに安らかに運ばるることを得ば、坐して居ながら自由に、望の地点に達して倒るることなく、喰はんとすれば食を招けば居ながら喰ふ。何処に居を定むるも危険を感ぜずば是又安全なるべし。世人の如く喰はんとすれば働き、然して報酬を受けて其にて物を購ひ、購ひたる食を様々加工して然して是を喰ふ如き手数を要するによって、其間に処して又種々支障を来すことあるが故に、不安なる生活をなし居るならん。喰はんがためには労力を要す。労力には限度あるによって不安は伴ふ。不安を伴ふが故に心を労し肉体をも労して、一生安からずして終る如きは、是安楽の世界とは云ひ難し。世人の世界は衣食住のために大部分は時間を失ひ居るにてはあらざるか。もし其が不必要とならばその後は何をなすかと聞かれなば、是には正しき答を与ふる人は少なかるべし。
 

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