覚者慈音381  帰途案内記  四流界の人類の生活  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻  帰途案内記




                      その37
 四流界の人類の生活について
 更に、三流界の人類の生活について                          
                  セイキヨウ貴尊 講述


 世人の世界は古来より伝はれる様々の宗教ありて、余りに複雑となり居るため可否の区別明らかならざること多くして、空想と虚想の相違を判断することすらあたはざるに至りたり。されど智慧のはたらかせかたによって是を判別して、是々非々の区を定むれば、虚想はなさずとも空想によって、あやまたざる道を択ぶこと難きにはあらざるならん。修行するもの注意して進まんことを望む。此空想と虚想を区別する智慧を、名づけてキュの法と云ふなり。心界.意界.心意界(八.七.六流界)迄の世界をシュと名づけ、然して魂界.魄界.魂魄界(五.四.三流界)の世界をキュの界と云ふなり。されば心意界を度脱してシュの智慧尽きれば、更に尺度は伸びてキュの位置に入る故に、魂界よりはキュの智慧と名づけ居るなり。是によって人間の測定をなす時、人は動物性より人間性に至るには四つの智慧界を進まずば完全なる人とはならざるなり。キュの階に進みてはじめて人身は同化し、更に身の必要なきに至って、初めて真の人となるなり。されば正しき人とは魂界.魄界(五.四流界)更に魂魄界(三流界)に至らずば真の人とはならざるなり。世人よ。修養修行せばキユの階に至って始めて、肉体の必要を感ぜざるに至ると知りて深く修養せんことを祈るべし。されば四つの智慧とは何か。今一段進みてキュの階を度脱して、ジョウの階迄進みてはじめて人の道を知り、人の人たる任務に服す。然してその任務を全うするにあらざれば、人としての任務は果されたりとは云ひ難し。世人よ。我等の見るところ未だチの域すら修めざるにてはあらざるか。前途は遼遠なり。空しき日々を過すこと勿れ。世人は互に相争ひて人肉を食む生活を日々営み居て、其にて一生を終りて可なりと思ふや。人肉を互に相食むは是動物に他ならず。甚だしきは畜生の業をなして、一生を無意義に暮すさへあるは、何と云ふ愚なることぞと我等は痛嘆するものなり。人間は動物性にてよしと語り居るを耳にする時、我等は実に憫なりと感じて如何にかして救ひ度しとの心のみあせれど、是を救はんとするも我等に耳を籍すものなきは、我等の行未だ浅きを感じてその責に苦むものなり。早くめざめんことを祈る。我等も励むべし。世人も努力せられんことを!
 魂の力はかくも永久的に持続して、尽きることなく進むことを考へず、肉体尽きなば其にて魂も消滅すとの誤りたる考へより、世人は動物性にてよしと語り居るにてはあらざるか。世人の肉体に宿り居る魂は肉体を通過する経路にして、所謂一個のトンネルを通過する列車に等し。列車はトンネルをこえ、鉄橋を渡り然して目的の駅に達す。その列車をトンネルのみにてよしと考ふる如きあやまちたる考へを早くすてよ。徒らに長きトンネルを望む勿れ。長き鉄橋を渡らんと望む勿れ。中途にて停車せば乗客は困難するならん。かかるあやまちたる行為を誰かなすものあらんや。
 然るに世人は肉体に宿り居る魂を停車せしめて、其にて乗客を迷はしめる如きことを考へなば、望みは達し難く空想は虚想となりて終らん。空しき考へを早く止めて正しき空想に依て、永久不滅の魂を寸時も早く目的地に至らしめよと教ゆるなり。

×

非ログインユーザーとして返信する