覚者慈音383



未知日記 第十巻  帰途案内記



                      その39
 四流界の人類の生活について
 更に、三流界の人類の生活について                          
                  セイキヨウ貴尊 講述


 世人の平和とか人類の融和とか云へる言葉は、帰するところ衣食住に於て悩みなければ、其にて人類の平和は得られたりと考ふる人は多からん。世の中の進歩発達とか種々様々の言葉を用い居れど、生活安定すれば其にて足るとの結論となるは、世人の口にする平和なりと我等は感ず。何となればその日々の様を見るに、すべては世を進歩せしむるにあらずして、唯生活に汲々として騒ぎ居るを見るによって、我等は斯くは考ふるの他なきなり。世人の生活とは生命を長からしめんがための生活にすぎざるなり。その命と云ふも魂を指すにあらずして、肉体の命数を長からしめんとするに過ぎざる故なり。故に肉体に重点を置きての生活にして、謂はば肉体本位の世渡りなれば、帰するところ衣食住に他ならず。是をチの智慧と云ふなり。故にチと云ふ僅かの生活にてシュとの間の無の音を引き出す結果となるにすぎず。チとシュとの間の無音は所謂休止なり。是は肉体を棄てたる事を意味す。故にチとシュとの間に無音の休止を現はしたるなりと知らば可なり。所謂世人の一生はチと無音のわずかなる生涯にすぎざるなりと考へなば、その程度の短かきことを知るならん。ギョウ、コウ、フク、セン迄進むには如何に長きかをさとりなば、動物性本能に囚はれ居りては人生の如何なるかは、到底認知する智慧は現はれざるべし。この言葉をよくよく咀嚼翫味せよ。文章文意に囚はるること勿れ。此言葉の中に潜在せしめたるものを引き出して、其によってさとりを得よとすすむるものなり。
 チ、無音、休止を離れずば、シュの自由は得られざるなり。シュとは自由の境涯を云ふなり。チ、コンマの不自由なる束縛(なわめ)を脱せずば、シュの自由は得られざる事は云ふ迄もなし。シュの自由を得てキュの自在を完成するにあらざれば、真の人とはならざるなり。真の人となりて後にあらざれば、人としての如何なるかは知ること難し。わずかチ、コンマの間に於て、人類を彼是論ずるとも、そは虚想にすぎざるなり。キュの地点迄到達するにあらざれば、人を語るの価値はあらざるなり。


世人の世界を救ふ者は誰ぞと云ふことに心し見よ。世人は所謂井中の蛙にして、大海を知らず。井の中に居て苦み悶え居るに他ならず。早く大海の広きにめざめよ。世人の世界を救ふ者は即ち世人にして世人が真の人間となるにあらざれば世人の世界を救ふことは難し。我等は世人の世界より度脱して漸く一人前の人間となりたるが故に、世人の世界を救へよと命ぜらるる程度迄進みたるによって、此事柄を世人に知らしめんとなし居るにすぎず。世人も人なり。我も人なり。我は神にあらずと云ひしは是なり。我等は漸く正しき人として引き上げられたるにすぎざるなり。上りて見れば余りに空間の広きに驚くの他なからん。世人は何時迄井中に在りて苦悶し居るや。早く度脱して大海の自由を得よとすすむるものなり。死する勿れ。長く生きよ。又長く生きんことを願ふべし。



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