未知日記霊話集未知日記霊話集 第千三百十一回 絶対界 巻の三 絶対界 第五講 先づ心と魂との区別 求めよ、得られんと云ふ言葉もあるにはあらざるか。 魂に求めよ。 然せば魂は明るし。 汝の望を叶へしむるはたらきをよく知る。故に心に苦みあらばすべてを魂に求めよ。 さらば得られん。 閉されて入ることあたはずば魂に向つてたたけよ。 さらば開らかれん。敢て遠きを求めずとも近きにありと教へられ居ることは、此言葉によつて解する事を得るならんと我等は思ふが如何!  テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています


絶対界
第五講
先づ心と魂との区別

           テツシン貴尊講義



 諸子は禅門の僧を見て狂人扱ひになし居ること多からん。 坐禅工夫して漸く魂を見つけたる僧に対してすら、 諸子は狂人の如く思ふならん。 さりながら現今の僧達は昔の徳者の説をとり入れて己、魂をも知らざるに是を知りたる如く吹聴して、世を害し居る人少なからずあるなり。さればこそ彼等は時には罪悪を犯し居ること多し。彼等は所謂さとりたるにあらずして、知りたる禅をなし居るにすぎざるなり。真の魂を発見したる僧ならば、斯る狂人の如き振舞は決してなすものにあらず。心は雲の如し。されど諸子の心は深き雲にして、太陽をさへぎり居るが故に常に陰欝となり居るなり。故にその心の雲を晴らし居らば、其にて己に有する魂の太陽は赫々として輝くこと疑ひなし。心のみ働らかすは雲のはたらきにして、雨を降らせ嵐を招くは当然なるべし。
 法とはむづかしきものにあらず。心を常に平になし居らば、黒雲むらくもは起らざる筈なり。 心を彼是とはたらかするは、恰も雲をよび雨をよぶに等しとの考へにてものに執着せず、ものに拘泥ざる生活をなし居らば、其にて魂との一体化は得らるるなり。 心の悩みは拝みと云ふ方法によって払ふことを得るなり。是を心の明らめと云ふ。 心明らむれば魂ははたらきて是を排除するは是魂の任務なるが故なり。諸子は叶はぬ時の神だのみと云ふ比喩の如く、苦みを解くには神の力をたのむならん。 諸子を守るものは諸子の魂なり。故に心の苦みを魂に訴ふることを神だのみと云ふなり。
 慈音はすべてのことを明らめて悉く捨てさりたり。故に彼は心の悩みはあらざるなり。 諸子は捨て難きものを棄ることあたはず、さりとて求むるも得難きに不拘、そのものに固着して彼是心を労し居るが故に黒雲は益々加はる。故に魂の光は一層暗くなりて通ぜざるなり。 なり難きものは強いて求めずとも是をすてなば如何?   否棄るにも及ぶまじ。 求めよ、得られんと云ふ言葉もあるにはあらざるか。 魂に求めよ。 然せば魂は明るし。 汝の望を叶へしむるはたらきをよく知る。故に心に苦みあらばすべてを魂に求めよ。 さらば得られん。 閉されて入ることあたはずば魂に向つてたたけよ。 さらば開らかれん。敢て遠きを求めずとも近きにありと教へられ居ることは、此言葉によつて解する事を得るならんと我等は思ふが如何! 心と魂は汝の肉体にあり。遠き所にあるにあらず。又も宗教くさき言を語りたり。されど是は魂と心の区別を明らめしめんがための言葉に他ならず。故に是等を宗教的に考ふること勿れ。
 天理に悖らぬ任務をなし居りて、其にて望は達せずと云ふことなし。 諸子は心のみのはたらきにて魂を忘れ居るが故に、己の何なるを知らずして迷ひ居れど、汝に架せられたる魂は汝を棄ることなし。 心にのみ委せ居りては棄てらるるは当然なり。 何となれば自然を誤つが故なり。自然に逆行するが故なり。所謂自然を離れて不自然の方向に足をむくるが故に転落するなり。すべてを汝の魂にむけよ。其には先づ我に大なる魂ありて、其力は神より架せられたる働らきあるによつて是に従はば、其にてわづらひはあらじとの思ひを貯へて行ぜよ。信ずるとは己の心より己の魂のあることを信ぜよと教ゆるものなり。魂と心の区別は斯くの如きの相違あることに留意せよ。 とやかく心にのみ任せて徒らに心配すること勿れ。所謂安心とは魂を知るにあらざれば、真の安心は得られざるべし。

×

非ログインユーザーとして返信する