未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百八十一回 絶対界 第十章 霊気と霊気の交はりに就いて 「云ふべくして行はれず」とか、或は「云ふは易く行ふは難し」など云ふ言葉あらん。是を我等に云はしむれば云ひ得らるるものならば、行はれずと云ふことなしと公言して憚らざるなり。 既に言葉に組織されて語ることを得るならば、行ひてならずと云ふことなきなり テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています

絶対界
第十章
霊気と霊気の交はりに就いて
            テツシン貴尊講義



 我と慈音が語り居るも、即ち霊と霊の交はりあるが故なり。霊眼の度加はるに従ひて、神の世界に通ずることは、既に末知日記にて語り居る如くなれば、朧気ながらにても諸子はこの理を知ることを得たるならん。故にこの方向に向つて歩みを進めよと教ゆるものなり。汝の魂は汝の肉体に宿る。汝の肉体を汝の魂に委せ、更にその魂を霊に委することによって初めて、天界に往生することを得るなり。往生と云へば忌はしき言葉の如く感ぜられるならん。今も慈音と隣家の母と語るを聞けば、生れし赤子は最早百ヶ日経ちしと云ひしとて是を忌み嫌らひ、又お七夜に命名するを一七日と云ひたりとて、忌み嫌ふと話し居るを我は聞きて、ここに何か無言詞のはたらきのあらざるかと慈音に語りたり。百ヶ日と云へば死を思ひ、百日と云へば別段気にも止めざるならん。 又お七夜と云ふも、一七日と云ふも、同様の関係にて死と生の相違となるが故に、かかる言葉の相違によつて間違ひを生ずること多からん。言葉にはかかる不自由なる区別あり。されど無言詞は然らず。無言詞は複雑なるものの中より、一個の確定したるものを取り出して語るが故に、かかる迷ひはあらざるなり。霊気は汝にも備り又他のすべてのものに備はる。霊気の力すぐれ行かば草木とも語ることを得るなり。されど草木には魂と云ふ具備あらざるが故に、人間の霊気を送るとも彼等には通じても、何事の応答はあらざるなり。是と反対に草木の声は、人の霊気に伝はり来れば、忽ち是を知ることを得るなり。
 諸子には知慧うすきが故に「云ふべくして行はれず」とか、或は「云ふは易く行ふは難し」など云ふ言葉あらん。是を我等に云はしむれば云ひ得らるるものならば、行はれずと云ふことなしと公言して憚らざるなり。 既に言葉に組織されて語ることを得るならば、行ひてならずと云ふことなきなり。ならざると云ふ事は言葉にては到底、現すことを得ずと云ふ底のものに多し。されど事実に於て行ふことを得るとも言葉に表現すことの至難なること多からん。是諸子の知慧の程度が低き故なり。又言葉の不自由なるにも基因すること多し。慈音の如く無学無智の者にしてありながら、霊気に順ずることを得たるが故に、我等の説を聞きて修養の度をたかめ居るなり。諸子はすべての備はり完全なるが故に、却て種々様々のさまたげに囚はれて、霊気に和することを得ず。和することを得ざるが故に、順ずることも得ざるのみなり。今や諸子の世界には霊に順ぜしめて是に何事をも任せ居る人はあまりに少なし。故に諸子の世界は混乱より混乱へと紊れて、正しき世界を現出せしむる事を得ざるなり。
 兎に角心意魂魄一体化せしめて、是に霊のはたらき加はらば地球に住居ゐて、居ながら天界の姿に化せらるること疑ひなかるべし。心のみの世界を作り居りては、肉体に囚はれて動物性に変化するの他なきが故なり。 永久不変なる愛の力によって世を建設するにあらざれば、世は保たれ難きこと云ふ迄もなし。諸子は個人愛にのみ囚はれ居りて、他に及ぼす愛の力はうすし。是等は心のみの気をはたらかせ居りて、他に合する力うすきが故なり。

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