覚者慈音371     帰途案内記    五流界の伝説 五味の木について





未知日記 第十巻  帰途案内記



                      その28
 五流界の伝説 五味の木について
                            
                  セイキヨウ貴尊 講述


 仏教の中にも味観と云ふあり。味観とは味を感するの行と云ふ意味なるべし。例へば美術品を見て其品の可否を語る時、此味はと云ふ言葉あらん。その味とは何によって定められしか。又其に対してその味の説明を求められなば、如何に説明して彼に其れを知らしむる方法ありや。味を他人に認識せしむるには如何なる法を以てすべきか。己自ら体験するにあらざれば悟ること難からん。座禅工夫するも味を知らんがための法なるべし。例へば
美味なるものを語るとも是を事実に於て食はしめずば、その味を共に美なりとして称することは難かるべし。食ひてその味を知る。食はずして味を知る事は、難しと云ふ言葉の如し。いささか宗教めきたる説を称へ居れど、この事柄に対してはよくよく認識を深めずば、今後我等の言葉は察すること難からんと思ひて、論旨を進め居るなればその心して聞かれんことを切望す。
 五味の木の伝説は無意義に語りたるにあらず。又かかる事の有無を喋々論ぜんがために掲げたるにてもあらざるなり。さて是より本題に入らんとす。先にも語りし如く無始終霊子の備へあるによって、宇宙は組織せられたりと語りしことに思ひを廻らし見よ。無始終霊子は霊子を生み、霊子は空を生み、空は光子気子を気子光子は素を生み、素より分れてすべては実在~実在へと組織せられたる事に関して、是を世人に認識せしめんが為に五味の木を語りたるなり。
 無始終霊子より素に至る迄を空の五味と云ひ、其より現はされたる実のものを五味に区分して考究するならば、空に五味あり、実に五味ある事の道理より、宇宙の組織の如何なるかが頷き知ることを得るならん。実をはなれて空とならば、空にも五味あり。この五味ある空の世界こそ即ち五流界以上の姿と考へなば、自づとこの界の如何なるかは想像すること難きにあらざるが故なり。然りとせば空と実とは何れがすぐれ居るかに思ひをはせよ。空なくしては実は生れざる道理あらん。即ち実は空の母より生れたるにてはあらざるかに、考慮を廻らさざるべからず。

×

非ログインユーザーとして返信する