未知日記霊話集千百八十四回 光明論 下巻 巻の十 汝等は唯神ありと信じて修養せば可ならん。何故なれば汝等の世界にて使用しある飛行機が仮に時速二千里と計算して神の世界に到達するには八百億光年を要すべければなり。我、斯ることを語るも汝等には信ぜざるべし。信不信は汝等の意志に任せん 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 小なる蟻蜂は人智に比して優れたる本能を有し、大なる象は人智に遠く及ばざる本能を有す。されど人の力は象に及ばじ。斯る本能を其々の物の個性に応じて与へたる神は、何の目的ありてなるかをよくよく観察して天理の如何に広大無辺なるかを研究せよ。汝等は人間なり。神にあらず。さりとて畜類にもあらざるべし。故に上には神を戴き下には動物ををく。汝等は地上に生れて地上に亡び又生れて又死す。恰も迷夢の如しと云はばその理論は誰もが信ずるならん。又学者も是を否認することなかるべし。是が天界に上りて神の国に到ると説くによって、ここに疑ひを起して有神無神の論議を戦はすに至るなり。神の有無を徒らに論ずるは利巧ぶるにすぎず。斯る事を論ずる暇あらば寧ろ一鍬にても土をたがやすべし。現今の人智にては及ばざればなり。
 汝等は唯神ありと信じて修養せば可ならん。何故なれば汝等の世界にて使用しある飛行機が仮に時速二千里と計算して神の世界に到達するには八百億光年を要すべければなり。我、斯ることを語るも汝等には信ぜざるべし。信不信は汝等の意志に任せん。唯我は無駄口を開らきしに過ぎずと思ひ居るなり。汝等は神なしと思ふならば危険はまぬがれざらん。汝等神無しと考へて病症の苦を増さんよりは寧ろ神ありとしていささかたりとも病苦を軽からしむるも亦利益ならずや。神ありと信ずれば神は汝の心に来り、なしと思はば神は去る。愛する心に愛は宿り、憎む心を起せば愛は去るに等し。故に宗教者は信ずる者の頭に神は宿ると説きたり。ミキョウは汝等は見えざる神を作らば如何と教へたるもこの理による。又生理学者が語るを聞けば動物はみな其々細胞の集合によって組織され、その細胞の個々に有する特性が相和して科学作用によって精神が活躍するにより心の増減変化に及ぶ故に、その形滅すれば細胞は分離して心も魂も消滅すと説くもあり。汝等もしこの学説に対して無条件に信ずるならば取り返しのつかぬ迷道を歩む結果とならん。然りと雖もこの学説にも一理あるなり。此事柄に対してセイキョウ、及びテッシン等が語りし如く心意は肉体と共に滅すれども、魂魄霊は滅せずと語りたれば汝等も理解しありと信ず。又我、光明論最初の巻に燈燭の話をなしたるも是がためなればここに多くを語らじ。されど汝等個人々々の相違するは即ち心意なりと知るべし。魂魄に於ても或程度共通を欠くは相対なるによる。一様に共通するは霊なりと知るべし。

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