覚者慈音353





未知日記 第十巻  帰途案内記
                その11



魂霊を見つける法  
                 セイキヨウ貴尊 講述





 全宇宙を五大鏡に照らして見る時、汝等の世界を照らし居る太陽は、那辺にあるかすら見ることあたはざるにて、まして地球など何処に存在なすやすら見ること難し。全宇宙を五大鏡に見る時は、汝等の地球は一個の稗粟粒にも及ばざる微々たるものなり。汝等地球上より星を見て、是は何拾光年何百光年など語りて驚嘆なし居れど、其すら未だ正しき見方にあらず。もし全宇宙の或星の光が汝等の地球上に輝きたりとして、何百億光年と計算なすことを得るならば、其は至って近き距離に置かれたるものにて取るに足らざる程の距離なり。斯くも今全宇宙は広大にして際限なし。さりながら事実は何百億光年と計算せらるる星ありとせんか、事実は何百億光年の程度の光は、汝等の地球には決して輝くものにあらず。其は有形なるが故に限度を有するによってなり。されど全宇宙の距離より考察して何百億光年何千億光年の譬喩にて語るならば譬喩として如何に語るとも全宇宙は測定することを得ざるが故に、その譬喩の言葉は成立すると知らば可ならん。
 汝等宇宙全宇宙の広大さを知らんとせば早く修養修業して五大鏡を見るべし。五大鏡を見る力汝等に具はらば全宇宙の広大さは見ることを得るなり。汝等の世界にて作りたる人智の機械にては到底是等を見きはむること難し。故に修養修業して神智を求めて五大鏡を見るべし。百聞一見に不如、筆舌をきはめて語るとも其は世人の脳裏に印象すること難し。
 人智をはなれて神智を求めよ。然らずば到底望は達し難し。よしんば神智を求めて是を見たりとて、唯見聞するのみにては無益の修業なり。己自らその処に自在に往復する力をそなへて、然して其うち己の好む安住の地を求むるに不如とは考へざるか。一枚の写真を見たるのみにては眼を喜ばしむるのみにて、事実その所に到らずば真の楽みは味はれざることに意を用いよと奨むるものなり。
 
 例へば我等慈音を通じて世人に語り居るを見て、慈音を特殊の人間なる如く範囲をせまくして考へ居る事を我は知る。されど我等は慈音のみに語り居るにあらず。幾千万人の人間対して、慈音に語り居ると同様の事を教へ居るなり。我等には我等の使命あり。幾千万幾億万人の人を通じて、その悉くに教へ居る事をその中の一人の慈音にのみ知らしめ居ると、誤解すること勿れ。慈音は特殊の者にあらず。学者には学者としての道を知らしめ、宗教者には宗教者としての道を知らしめ居るなり。然るに学者も宗教者も其を悟らず、唯己が智慧にて物事を明らめ居ると思ひ誤りて却ってその智慧のはたらきがわざわいを誘発し居る事多し。我等が伝ふる事をそのままに受け入れて、是に技巧を加へず伝ふる正直者は少なし。故に慈音の如くそのままに伝へて何等技巧を加へざる導きをなすに依て、慈音のみが我等の徒弟の如く思ひ誤り居るなり。







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