覚者慈音354



未知日記 第十巻  帰途案内記
                その12



 八流界の人類とは  
                 セイキヨウ貴尊 講述


 九流界の人類は既に凡ての人間界の事柄をきはめ尽して、人界を全く度脱したる人種の世界なるによって、生死の区別などの明らめは全くきはめ尽したる人種のみなり。是を世人の世界に於て仏教者が、菩薩の世界なりと語り居るならんと、我等は考ふるものなり。ここに注意する事あり。そは他ならず。我等の称ふる神と、仏教の云ふ神とには相違あるなり。仏教者は神を下位にをき、仏を上位に定め居るに依て、此書を仏教者が読む時は誤解すること多からん。我等の称ふる神は、仏より上位のものを神と称へ居るなれば、其心して読まれんことを望む。故に注意なしをくなり。
 さて八流界以上の人類は如何にと云ふに、是を世人に知らしむるには非常に苦むにて、其は言葉にては云ひ現はし難き事の余りに多き故なり。例へば八流界の人間の姿はとたづねらるれば、是にすら答へを与ふる事の不可能なるによってなり。何となれば八流界以上の人類は男如の相違はあれど、汝等の世界の男如とは非常なる相違あるなり。世人の男如は肉体の相違によって区別する事を得れど、八流界ともなれば肉体によって、男如の区別することあたはず。それは八流界以上の人種は、陰門陰茎などの具備りあらざるによって、一見しては判明し難し。斯く語らば世人は夫婦間の交はりは如何にすべきか。或は子を儲くるるは如何にすべきかの迷ひあらん。八流界の人種は男子の陽性女子の陰性との交はりにて女子は孕む。然して時期来らば自然に人門は開らかれて子は生れ、生るれば直ちに人門は閉づ。夫婦間の交はりとは肉体の交はりにあらずして、陽性陰性の交はりに過ぎざるなり。斯る事に於てすら世人の世界と八流界以上の人種とは、全くその組織を異にし居るによって、すべての事柄に対しても、是に詳細なる説明を与ふある事の難きを察せよ。然して彼等の肉体には排出の汚物あらざるが故に、斯るそなへの必要もあらざるが故、世人の空想する姿とは全くそのそなへ異なり居りて、是を知らせんとならば天界に誘ひて示すの他なきなり。彼等は喰へばその悉くが、充満して肉体を支ゆるにすぎず。故に排出物は気体となりて、全身より放散して影を止めざるなり。

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