未知日記霊話集 第千八十回 光明論 下巻 巻の八 うかうかと喰はば糞となるのみ。糞となさば汝等は殺生を犯したるにて是は罪悪なり。一片の肉も清浄にして喰ひ、肉体に宿して光明に浴せしむれば是は殺生にあらずして浄化せしむる結果となる。然れば是を浄化せんには如何なる法を以てすべきか。曰く、唯一言あるのみ。即ち感謝の心なり。是を措いて他にはなからん。すべて身の養ひとなる食に感謝せよ  テツシン貴尊講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の八 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  上
第一章 チッ の 門


               テッシン貴尊 講述
               

 慈音よ。汝、今、日本の宗教界を展望して如何に感ずるや。敗戦の今日となりて彼等の周章狼狽を見よ。彼等は戦時中は戦時にあてはめ、又現今は民主主義大衆主義自由主義とあてはめて指導するとは、さてもさても自由宗教と感心に不堪。斯る宗教は自由と云はんよりは、寧ろ臨機応変主義、掌変主義(掌をかへす)と云はざるべからず。斯る御都合主義を宗教として霊道を得せしむる時は、大衆を惑はすのみにて効果はうすからん。己等の仲間を安全ならしめんと苦心する宗教者こそ哀ならずや。慈音よ。然とは思はざるか。如何に世間が移り変るとも永久不変の道ならではすべてを救ふことは難かるべし。宗教家にして斯くの如き虚説を吐く。実に苦々しきことならずや。話は枝葉にわたれり。本論に返すべし。
 十二光波十二気波、自乗して百四十四気光素の作用によって俗に云ふ百八煩悩、即ち十二の九倍(所謂苦の十二倍としゃれを云ふにも及ぶまじ)を清除して、十二の浄水にて清除せば煩悩変じて菩提とならん。我、仏教の言葉を屡々用ゆれども、決して仏教を鼓吹するにあらざる事を諒とすべし。そは汝等に教ゆる其言葉は適当と思へばなり。汝等此門の様を見て如何なる事なるかを知るか。是ぞ汝等が持つ肉体が心意魂魄との結合の融和全たければ、斯くの如く美はしく光明の輝くことを教へたる、まこと正しきさとりを得たる大悟の門なる事をさとしたるなりと知るべし。何事も清き観念を持てば凡ては清めらる。汝等は生きたるものを屠りて其肉を喰ふ。然れば人間を屠りて喰ふや。其は渇して食尽き将に餓死に瀕せざる限り喰はざるべし。此処の道理を思ひなば唯うかうかと喰ふべからず。うかうかと喰はば糞となるのみ。糞となさば汝等は殺生を犯したるにて是は罪悪なり。一片の肉も清浄にして喰ひ、肉体に宿して光明に浴せしむれば是は殺生にあらずして浄化せしむる結果となる。然れば是を浄化せんには如何なる法を以てすべきか。曰く、唯一言あるのみ。即ち感謝の心なり。是を措いて他にはなからん。すべて身の養ひとなる食に感謝せよ。そは神の恵みなればなり。すべてを清めて心意魂魄を輝かしむれば、汝の口より発する肉体の言葉も清からん。清き言葉は他をも明るくす。汝を嘲り謗る言葉を聞かば是を浄めよ。然らば汝の心は清くなりて明るくならん。眼より入りたる汚れ、鼻より入りたる汚水のすべてを清くすべし。肉体の汚れは湯水によりて清めらる。汝の脳裡に自由と云へる清濁両道に通ずる湯もあり、水もあるなり。誤ちて濁水を用ゆる勿れ。

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