未知日記霊話集 第千七十六回 光明論 下巻 巻の八 円海は俄かに召されて天界に現はれミキョウの位に置れたり。慈音よ。彼には今後肉体にての対面は叶ふまじ。されど「ヂショウ、サンキョウ、インショウ、ミキョウ」の呼声に依らば如何なる時にても語ることを得ん。されば今後従来の呼声は円海に通ずべけれどセイキョウには通ぜず。故にセイキョウを求めたづねんとならば「コーケン、ムイ、リョウジャ、セイキョウ」を用いて招くべし。講話を始むるに際しこの歓喜を贈りて緒言にかへたり テツシン貴尊講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の八 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  上


               テッシン貴尊 講述
                

 セイキョウ退きて我、テツシン又汝等にまみゆるを喜ぶ。此喜悦をむかゆるに際し今一つの歓喜を慈音を初め汝等にわかちて相共に悦ばんとす。其は他ならず。円海は俄かに召されて天界に現はれミキョウの位に置れたり。慈音よ。彼には今後肉体にての対面は叶ふまじ。されど「ヂショウ、サンキョウ、インショウ、ミキョウ」の呼声に依らば如何なる時にても語ることを得ん。されば今後従来の呼声は円海に通ずべけれどセイキョウには通ぜず。故にセイキョウを求めたづねんとならば「コーケン、ムイ、リョウジャ、セイキョウ」を用いて招くべし。講話を始むるに際しこの歓喜を贈りて緒言にかへたり。
 肉体を地上に置けば肉体に楽みあり。魂を天界に至らしむれば又魂の楽しみあらん。汝等何をか悲み何をか厭ふや。春には花あり、夏には緑したたる木蔭に涼を求め、秋には混色の錦を眺めつつ蟲の音楽を聞き、冬楼上に暖をとりつつ白色の景に酔ふ。此楽みや深からん。加るに空には日月あり、きらめく星あり、天かける鳥あり、眼を悦ばしめ耳を楽しませて友と文筆を弄してたのしみをわかつ。豈たのしき世界ならずや。斯くも楽しき世界に住みながら何を苦み何をか厭ふや。苦を求むるも汝にて、楽を求むるも亦汝なるべし。さとれば朝の霜の如し。日に照らさるれば消えて跡なし。苦を楽にかへよ。汝等の肉体はやがては消えて影を止めざればなり。汝等総てを明らめて日々を明るく朗らかに暮すは可ならんに、何をか苦みて陰鬱に不快の生活をなすや。そは覚らざるに依てなり。我、セイキョウに対して前講の最終に於て重装悟道の例話を語らしめたり。もとより此例話は行者間にはよく行はるる方法にして珍談奇談にあらざるなり。
 行者は霊光に浴せんが為には斯くも断間なき試験を師より受けつつ油断なく実行して、寸時も重荷を放棄して休養する暇とてはあらざるなり。是を思ひ彼を考ふる時、悟すると云ふことの如何に至難なるかは想像なす事を得るならん。或行者は涙して曰く、「師の鞭は数少なければ我の心痛は殊更深し」と。我是を聞くに忍びざりしことさへありき。彼等の行は炎熱よりも尚熱し。汝等の行は水よりも尚冷かなり。斯る修行にて何日かは霊光に浴すべき !
 たゆむなかれ。屈する勿れ。行者も人なり。汝も人なり。人と云ふに変りなく霊光にも変りなければなしてならざる事あらんや。是に対して指導者の熱意も亦容易ならず。粉骨砕心の努力とは実に是等を語るならん。

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