未知日記霊話集 第千六十九回 光明論 下巻 巻の七 僧侶の読経は霊を誘導する法なることは前にも説きたる如し。又僧は衆生に向かひて朝夕勤行を勧むるも帰する処は此法によって汝等の守護霊に対面なさしめんとなす方法なることに思ひを致すべし  セイキョウ貴尊講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の七 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  下
霊に合するには何か特殊の方法ありや


                セイキョウ貴尊 講述
                

 次ぎに今一つ至極簡単にして安全なる法を教ゆべし。是はいささか時間を要す。然れどもきはめて簡単且つ虚弱なる人にもなし遂ぐることを得るなり。又種々様々の業務に追はれて断食等の如く時間の余裕なき人と雖もなさんとの決心あらばなし遂ぐる事の得られる法なり。是は夜の一時或は朝の一時とにかく一時の余裕を作らば何時にてもよし。とにかく一時の間端座して最も己の趣味に適する書物、但し小説に類する書は避くべし。経文の類或るは修養に適する然して読み易き書を択ぶべし。是等の書物を一時の間声に出して読むなり。法とは唯其のみにて他なし。斯く語らば汝等は茫然たらん。されど是を行ふには充分原理をわきまへずしては何等の効果なし。汝等仏教の僧達が朝夕勤行なし居るは何の為なるかを知るか。彼等は死者の冥福を祈るとか、衆生済度の読経とか称し居れど、そは方便に過ぎずして自己の守護霊誘導の法に過ぎざるなり。汝等寺に参詣でて僧達の唱ふる経文を聞きて其内容の意味を汲みとることを得るか。もしありとするならば文字に造詣深き学者なるべし。又霊魂が其経文の真意をさとりて成仏する底の学徳が生前より具はりあらば、斯る経文を聞かずとも既に成仏しあるならん。然るに其むづかしき経文に種々の節づけなして唱ふればいよいよ不分明となるのみならず、斯る事にて天空地獄の亡霊が度脱し得るとは信じ難きは当然なるべし。是等については大悟録にて貴尊の教へあるべければ、我は省略す。
 僧侶の読経は霊を誘導する法なることは前にも説きたる如し。又僧は衆生に向かひて朝夕勤行を勧むるも帰する処は此法によって汝等の守護霊に対面なさしめんとなす方法なることに思ひを致すべし。所謂汝等には姓名あれども汝の有する霊には姓名はあらざるべし。故にその霊に尊号を附して何々と己の信ずる神仏の名を喚べど実は自己の霊を招き居るなり。この理をよく会得せば更に次の事柄に対して考へを廻らすべし。
 汝等日々何かの書を読み居るに何故霊の合致するを得ざるかと云ふ疑問を解決する事なり。其は汝等の読むは日々の新聞雑誌等は読むにあらずして覚ゆるなり。読むと覚ゆるに於て格段の相違あり。甚だしきに至っては眼より聞くと云へるは多かるべし。とにかく書籍を見る人は多けれども読む人はきはめて少なし。汝等我講話の書を見るに止むるならば小説にても見るべし。肩も凝らず、面白からん。

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