覚者慈音348

未知日記 第十巻  帰途案内記
                その6
魂霊を見つける法  
                 セイキヨウ貴尊 講述


 第一の場合の如く肉体を有する間に信念共に強くして、魂の緒切れざる間に、外皮を脱ぎたる人は、既に生あるうちに天界を知る事を得て、魂の緒の切るるとも、切れずとも、既に天界を知る力そなはりて、迷ふことあらざる底に迄到達なし居る事に留意して、生ある間に早く悟るに不如。
 されば信のみにては一方に偏し、念のみにても一方に偏す。故に信念一体化したる行ひをなすにあらざれば望みは達し難し。信のみにて我に魂あり、霊ありとの考へならば、恰も大切なる宝を蔵中に貯へ居るに等しくして、宝としての要をなさざるなり。されば念の力を用いて、是を蔵中より取り出してはたらかすことによって、宝としての徳は現はる。世人は既に身心一体の理は承知なし居れど、未だ是を魂霊にまかすることをなさざるが故に、魂の威徳は身心を照らす力うすくして、現在にのみ思ひを致して安からぬ日を送り居るなりと思ひて、信念を魂と霊に向けよと勧むるものなり。然して先づ己の何なるかを知るにあらざれば、如何に天界の様を語るとも、無益の空論となるによって、我の語る処をよくよく味はひつつ聞くべし。


八月二〇日(昭和二四年) こだま会に於て円海が語りたる如く、剣客は剣によって魂を知り、又他の芸術家がその芸術の蘊奥(うんのう)を究めて魂を知る。宗教家ならずとも己に架せられたる分野に従ひて、その道の蘊奥を究むれば、魂を見ることを得るなりと教へたり。真に然り、然あるなり。宗教者のみが魂を教わるにあらず。凡て己に架せられたる分野に従ひて熟達したるものは、魂を知りて大悟し、其以上は霊を知るに至る。我、自在論に於て自己に与へられたる道を励みて、任務をなしつつ自問自答なし居らば、其にて望は達せらると教へしが、此理なりと知らば可なり。己の職をはなれて寺参詣なすに及ぶまじ。分野は分野宗教は宗教と区分して、両道にまたがらば即ち二心なり。所謂二兎を追ふ者は一兎を得ずの譬喩に等し。斯る事にては物事は成就するものにあらず。是を知るによって我等は簡易なる法を世人に教へたるなれば、迷はず此道を踏むに不如と我等は断言して憚らざるものなり。己に架せられたる任務に励みて、その業の中に正しき信念を取り入れて、両道一体となして、正しきさとりは得らる。是を名づけて使命を全うしたりと云ふなり。即ち言行一致の姿を現出なしたるが故に、完全なる結果は得られたりと知らば可なり。



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