覚者慈音347

未知日記 第十巻  帰途案内記
                その5
魂霊を見つける法  
                 セイキヨウ貴尊 講述



 斯く語らば世人は又も云ふならん。修養なくして浮住界に苦む時、霊に特殊の力備はりあるならば、何故その魂を霊は浄化せざるやとの理屈なるべし。斯る理屈論は我、答ふるの要なし。前巻を参照して汝等の判断に任せん。現在世人は下界にありて生存なしつつありながら、己自らの前世を考へしことありや。我に言はしむれば、一人としてあらざるべしと云ふも、過言にはあらざるなり。よし考ふる人ありとも現在己の位置を考へてその個性すら知らざる人多からん。己自らが前世を現在の姿より逆に逆上って、其れをたしかめたる人ならでは、現在の位置に安んじて来世の結果迄さとる事は難からん。世人は過去を知らず。故に未来も知らざるなり。過去の原因を認識せば、未来の結果は判明することを得んとは考へざるか。是汝は霊を知らざる故なり。過去の原因を知るものは霊なり。来世を知るものは又霊なり。世人は原因を知らんとせば霊ははたらきて是を知らしむ。故に来世も知らしむる力は霊にあるなり。世人は知らんとせざるが故に、霊は知らしめざるなり。この理は前巻を読みたる人ならば、既に認知なし居る筈なるに不拘、未だ霊に根を下さず。故に魂はふとる力具はりあらざる事に心して、早く霊に魂の根を植えつけんことをすすむるものなり。
 我斯く語らば、世人は直ちに霊を知るべき方法を教へよと云ふならん。又魂を発見するには如何なる方法を以てすべきかなど、世人は凡てのものの道理を聞きて然あるかと考ふれば、直ちに其を求むる方法を教へよと云ふは一般人の習性なり。是智慧の未だ具はらざる故なり。我等が魂ありと語り、又霊あると語るも是は法を教へたるなり。魂あり、霊ありと知ることを得ば、其にて法は感受したるなり。ありと知りてその方向に心をむけ居らば、其にて法は行はれつつある事に心せよ。我に与へられたる魂あるが故に、心は働くと思ひて、その魂より心の働きを強くすることによって、魂と心は融和なしつつあることこそ、即ち法力の現はれなるが故なりと知らば、法とはむづかしきものにあらず。唯魂あり、霊ありとの信念を深くする事に依て、学ばずとも法は行はれつつあるなり。知らざるが故にその方向に向ふことをなさず。故に何かの場合に不可思議なる事現はるれば、唯驚嘆する他なきなり。魂を知り霊を知りて其に心をむけ居らば、如何なる事の現はるるも是皆魂霊のはたらきによると悟るによって、不思議と云ふものは次第に消滅す。然るに魂あり霊ありと聞かさるるも、唯然あるかと半信半疑なるが故に、法も半信半疑の両道にまたがりて通ぜざるなり。故に我に魂あり、霊ありとかたく信じて是に心を向けて念を強くせば、法は次第次第にその力を増して、果なく強くはたらくと知らば可なり。念ずると云ふことは即ち外皮の垢を落して、その皮をうすくし遂には是を脱ぎて、赫々たる光明を放たしむる術なりと知りて、信念共に深くすべし。信ずる力強きは、稔りを強くす。故に信ずるのみにて魂の緒の切れたる人は、天界に運ばれて後、軈てはその外皮を脱ぎて、光明を輝かせ到るべき処に到達する事を得るなり。されど念の力うすきが故に、暫時は浮住界に止まるの余儀なき至る。




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