覚者慈音337

光明論 上巻 巻の一
                その21
  
                 セイキヨウ貴尊 講述


 人は陽徳を望みて陰徳を望まざるものなり。陽の行為は燭にして陰の行為は線香に比す。陽の行為はなし易けれど、陰の行為はなし難し。悪事は反対にして陽行はなし難く陰行をなす。縁の下の力持ちはなし度きものにて悪行の力持ちは止め度きものなり。善行と思ひなば縁の下の力持ちを喜びてなし、悪行は避くべし。燈燭はすべてを照しあるも香の如く肉眼に見えざる細菌を払ひて害を除くことをするを得ず。表だちたる行為は一見はなやかなれども、陰徳に及ばざること遠し。汝等今迄学びて修めたる行ひを今後は陰徳に依て立派に更生完成の修養をつまざれば、学徳兼備することは得られざるなり。燭の学は既に終りたり。陰徳をつみ重ねて其が誰の為となるかなどの考へにて行をなすならば、其は陰にあらずして即ち陽に帰するなり。例へば人の難儀を見て密かに姓名も告げず金品を恵み遁ぐるが如く立ち去りたりなど云ふは、是陰にあらずして陽行なり。施しをなす事は真に善行なれば斯る場合は宜しく姓名を告げて恵むべし。何となれば斯る行為にて却って恵まれたる人を罪に落としいれ善行が悪行に帰する例は小説などには屡々見る処なればなり。真の蔭行と云ふは甲乙の区別なく又敵味方無くすべてを愛する心の修業を指すなり。彼を罵り不埒者なれば彼の如きは早く死せば可なりなどの思ひを貯へるは陰の悪行なり。たとえ我に仇なすとも其が栄えを祈る底の努力あるべきなり。汝等の「罪を憎んで人を憎まず」とは口先にて表面なり。真実斯くの如き言葉を肚の底より思ふよぅの修業あるべきなり。仇を仇とせぬ心構へこそ大事なれ。されば汝等が戦ひつつある敵国人も戦死すれば罪は無し。彼が冥福を祈るとも神の道に反すると思う勿れ。敵と味方に別るるとも倒れたる後迄仇となす勿れ。倒れたる者をも憎むは大人物たる資格なし。線香の如く香を高く輝かして他の心を清く洗ひて人の徳を得さしめよ。香はもとより光明なり。光明はあまねく一切を照して全うす。光明の香は善悪を問はず敵味方の区別なく香(かほ)らすにてはあらざるか。
「小人閑居して不善を企っ」との誡めは汝等の知る処なり。蔭徳をつまんとして却って不善に陥り易きものなれば、教主は悪臭を放つ線香となる勿れとの誡めをなされたり。悪臭は他の人をも暗くするなり。陰徳を陰謀となす時は是を注意せざれば悔いを残す。陰徳とは引力なればすべてを引く力とならん。引力強ければ是に比例して圧力も亦強し。人間執念より度脱する能はざるも是等によるなり。
 例へば一つの品物を他に与ゆるにも最早我には必要なしと思ふものならば、訳も無く与ふを得れども、我に必要なるものは与ふを得ず。即ち我に必要とは引力を意味し要なしと思ふは圧力を意味す。酒は止められぬ、煙草もすてられぬ、是皆引力なり。引力強ければ圧力強くなるは勿論正比例するなり。此理を考へて工夫せば執着は棄てらるべきを悟るべき術を知るに至らん。即ち引力と圧力が平均なし居るを知るならば其度を低下さすれば自然に引き下げられて、消滅する事を得るは順序なるべし。

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