覚者慈音314

光明論 上巻 巻の一
                その2    



                 セイキヨウ貴尊 講述



 形を有する光明がたとへ全宇宙を照らすとも是は限度あると云ふ結果に帰するなり。何となればこの光明滅却すれば暗黒となりて限度は失はる。是限度ある証なり。又位置と云ふ言葉に於ても汝等が思ふ場所と云ふにはあらず。分野分限分度の意味も含まれありと知るべし。即ち光明の位置限度の言葉にすら、我等が称ふるとは意味に於ても成立に於ても
広き範囲にわたりあるに依って汝等は空行く雲の如く聞きのがすことなく真剣な態度にて実行聴聞すべし。又
 「位置なき光明には形を有せず、形なければ限度なし」と、
よく味うべし。例へば小児がもてあそぶシャボン玉の空中を飛散するを見よ。位置あり、形あり、限度あるを知らん。然しながら汝等は思ふならん。シャボン玉と云へる言葉には何もなからんと。そは誤なり。言葉にも形を有し、位置を有し限度も有し居れる光明なりと知るべし。故にすべてはみな是に属せども唯是等を有せざるは神の力のみ。故に神の力には、
「形なく位置なく限度なし」と仰せられたるなり。
「神の光明には位置もなく形もなく限度なし。故に無極無辺なり」と。
神の光明と云ふをききて汝等は神の身体より放射する光と考ふる勿れ。光明とは前にも語りたる空源力を云ふなり。赫々たる光を思ふならば其は神の身に具はれる威徳にすぎざればなり。光明とはすべてに通ずる現はれなれば心せざるべからず。例へば一方より一方に通じなばそは既に光明なり。故に動静に不拘、光明あり。光明は力なりとも云ひ得らる。又ははたらきなりとも云ひ得らる。この光明に依って人間をはじめすべての動静物は生じたり。否生ぜしめ給ひしは神の力の光明によりたるなり。故に
「宇宙全体悉く神の光明に浴せざるもの一としてあらじ。この光明に浴して汝等は下界に生をうけたり」と、説かれたり。
 この言葉は平凡なる言葉と思ふならん。わづかの句の中に二度迄光明に浴せしとの言葉あるも、汝等は粗悪拙劣の表現(いいまわし)かなと感ずるなるべし。然し是等には深き意味の理あり。はじめの浴するはつつみ入れて洗ひきよめて完全に育てあぐるの意味にして、後の浴するは養ひ育てたるの意味なり。又はじめの光明は大乗にして後の光明は小乗を現はせしなり。尚次ぎに汝等はと申されて人間はとも動物はとも仰せられぬ処に深く感謝せざるべからず。是は行法秘伝の巻に我、汝等のために教主たらんと約せられし言葉を固く守りて特に汝等我弟子よとの愛の発露より現はれし言葉なるに思ひ至らば深く感謝せざるべからず。又特に、
「下界に生をうけたるなり」と。下界と云ひ、生をうけしと云ひしにも他に変りし言葉あるをしりぞけられたるにも思し召しありてなり。生とはうまる。いきる。現はれる。いきほひ。いさむ等々の意味を含み、又下界は下の意にあらずして天界、神の外と云へる意、即ち神に通ずる道の端と云ふ意味を下と仰せられたり。即ち
「汝等は一本の燈燭の如く光明をうけたり。即ち肉体は燭にして魂魄は点火の如し」と。
更に講を一変して燈燭によそほへて話を進めて光明の大意を悟らせんと計り給へる慈悲心の深き恵と知るべし。汝等は形なき光明より燭を仲介者として形ある光明に移されたりと云ふ。即ちとあるは光明即ち即を説かれたり。然して即ち肉体は燭にしての即ちはとりもなほさずの意なり。故に是を要約すれば無の光明は燭と云ふ肉体によりて有の光明に化せられて、下界に生み出だされたりと仰せられたるなり。




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