覚者慈音315

光明論 上巻 巻の一
                その3

  
                 セイキヨウ貴尊 講述


「魂魄は点火の如し」とあり。
その肉体を燭にたとえ魂魄を点火にたとえられたるには深き意味あることに心せざるべからず。近代の燈火数多きを捨て、特に古き時代をくれの燈燭を択ばれたるは何故かを考慮せよ。又蝋燭とも言はず燈燭と語らるるにも留意せよ。又燈火とも云はれざるにも考へをめぐらし見よ。我、今いささか是等に即応して講話を試みん。近代の進歩せる光は光彩の力強けれども是を人間の例にたとふれば矛盾多くして理屈となるのみ。その理あるに依って燈火と云はば是等も含有するに依って燈火とは仰せられざるならんと我は思ふなり。又燭のうちには蝋燭に限らず種類多ければ統括して申されしならん。燭は昔貴賓に捧げられし光なりと我は聞きたり。もとより燈と云ひ燭と云ふも意味は一なれども此両者を結合して、一の光ならしめんがための言葉なることは云ふ迄もなし。故に肉体は燭の如くと云はれしは未だ光を与へられざるを云ふなり。点火せざる燭は光なく肉体のみにて魂魄なけければ生ける屍に等し。魂魄の点火あるに依って光明は輝く。燭の点火は人に依ってなされ、魂魄は神によって点火せらる。
「燭尽きざれば点火は消滅せざるが如く、肉体あらん限りは去らざるべし」と。
斯くの如く簡単明確に仰せられしが軽く聞きて唯成程と脳裏を去らしむる勿れ。燭、尽きざればとは唯蝋燭の無くならぬ限りはとのみにあらず。即ち燭とは天職の意にも通じ、又食物の養分にも合ふを以て天よりの使命する役目を指したり。然して食する養ひとは点火を発揚せしむるだけの修養を意味し、且つ尽きざればとは尽せざればの意にも通うふを以て、是を統合して一括せば天職を果さざればと云ふ結果となる。又消滅せざるが如くとは消え失せるの意にあらずして、点火は即ち役目を全うする能はざるが如くの比喩なるに依って消滅の言葉を用いたるなり。故に人体には尽ずの言葉を用いず。あらん限りはと仰せられたり。所謂人間に架せられたる使命は、あらん限りの力を働かさざればの意なり。肉体の精力をあらん限り働かさざればと云ふなり。然らざる間は去らざるべし。此処には消滅の言葉を用いず。去ると云はれたり。この去ると云はれしには我も感心に耐えず。
 点火には消滅の言葉を用い魂魄は去るとの句を示されたり。即ち点火は終を告げたれど、魂魄は人間の任務を以てして未だ使命は果されずと云ふに依って唯去ると仰せられたるなり。汝等斯る言葉にも浮々と聞くことなく心して深く考慮すべきなり。魂魄の点火は消滅すると雖も滅したるにあらずしてその位置を異にするのみ。然るにここに至って魂魄の点火消滅との言葉を聞きて不審するならん。されど是ぞ心せざるべからず。汝等はこの点火と云はれしに耳を欹(そばた)てよ。即ち点火とは煩悩の炎、或は善行或は悪行等を仰せられたるなり。是等の業は修養修業によって或程度は消滅することもあるも容易に絶えるものにあらず。蝋燭の丁字の如く払へば一時は落ちて明を増せども暫くして又初めの如くに返るに等し。故に人間は肉体あらんかぎりは点火の煩悩及び善悪の業は消滅せざるのみか、肉体を離れし後も尚残ることを示し給ひしなり。



×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。