未知日記霊話集  第六百三十五回  帰途案内記  転界の巻 八流界の人類  セイキョウ貴尊講義


覚者慈音1317
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 171
更に八七六流界に到る迄
慈音、再童の座につく       
                 セイキョウ貴尊 講述                    


 心界意界には法術の行はるるも、是一方的にして絶対にあらざるが故なり。心意界に至っては絶対なるが故に、心界意界の如き偏りたる法術は何等要をなさず、忽ち看破せられて逆に我と我悩みを多くするに止まる。世人はこの理を知るや。我等世人を導かんが為に、上界の事柄のうち最も世人の修養修行の材料となるべきものを択びて語り居るならば、是を諒として上界の事柄を無意義に聞きのがさず、己が心の修養に取り入れて深く研究すべし。然してその法則に従ひて歩みを進めなば、軈ては天界の様を見聞すること難きにあらず。何より証拠、慈音を見よ。慈音は既に是等の世界を見聞することを得たるにてはあらざるか。此事に関してすら世人は慈音に疑ひの眼を向くるならん。斯くも世人は智慧浅くして疑ひのみ深きが故に、是等の事柄は信ずるあたはざるなり。
 慈音は己を知り己の拙劣なることを悟り居るが故に、我等が導きて彼是見聞なさしめ居れど、そのままを世人に語るとも、己の程度を低くして他人を信ぜしむる事あたはずとの念を、深くして語る事を避け居るなり。我等はいたく是をあはれと感じて、すべてを彼が心のままにまかせ居るにすぎず。されど是以上の事を世人に知らしむるには、何日迄も彼をして迷はせ居りてははてしなしと思ひて、教主に此事を訴へたれば、教主は是を許し給ひて我をして其諾を慈音に伝へよと命ぜられたり。よって十月廿九日(昭和二十四年)こだま会に於て突如彼に教主の命を伝へたり。然して彼をして再童の座に進められたり。されば今後は彼を呼ぶに再童慈音として、此書に記録する事となしたり。左に教主の言葉を掲げて記録に止めをかん。



「汝、慈音よ。汝は我いましめをよく守り、よく行ひて其苦に堪えたり。我是を嘉す。よって今日そのいましめをときて汝を導かん。よって汝は今後再童の座につく事を許すべし。汝より取り上げをきし行力は是を倍加して汝に与へん。是を諒として一層励み他を導きて共に正道を歩ましむる事に努力せよ」と、仰せられたるなり。
 是に対して慈音は我に問ひて曰く、我慈音教主の許しを受けて肝に銘じ有難しと思へど、今後我肉体の組織あらたまらずば世の中の人は我を信ぜざるべし。然る時は教主の仰せも其が為に傷かんことを恐る。是は如何にすべきかと。我答へて曰く、その言葉はよし。されどすべてを教主に任せて己が肉体のことなど彼是と考ふるの余地なし。たとえ汝の肉体が如何に変ずるともすべては教主の意志に任せよ。今後肉体の自由失はれてたとひ床の中に呻吟すとも、其は汝の罪にあらず。すべては教主の心任せなりと思ひて、何事も一切すべてを教主にゆだねよ。其にてよし。たとひ世人が如何に汝に眼を向くるとも其は世人の心任せなり。決して汝の罪にあらず。教主の意志に従ひて唯己が任務を務めとして守り居らば、其にてよしと教へをきたり。

×

非ログインユーザーとして返信する