未知日記霊話集  第六百三十三回  帰途案内記  転界の巻 八流界の人類  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1314
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 168
更に八七六流界に到る迄
七流界と六流界の人類について 
                 セイキョウ貴尊 講述

 然るに是に反し人智進みて意界の人類ともならば、沈着冷静の態度と変じ、心界の如く前面にのみ囚はれず、先づ己が位置を固めて徐々に進むが故に、斯る過まちはあらずして世は全く安らかとなり居るなり。先に語りし心界の人侵入し来る時、既にその企みを知るが故に入界を許さず。彼が心清らかとなりて、始めて入界をゆるす如きそなへを完備し居るなり。故に他界より犯さるる如き憂は毫もあらずして、人智は益々進化せらるるのみならず、混濁せる悪心を抱くもの又一人としてあらざるなり。然して上界よりは愛をうけて、種々様々の事柄の教へを受け、向上より向上へと次第々々に世は栄えつつあるなり。是等の道理は先にも語りし如く、心界の人は心を先とし意を背後におきて、常に心にのみ囚はれ意をおろそかになし居るが故に、進む事にのみ重きをを聞いて居るに対し、意界の人は意を旨とし、心を背後にをきて修養の道を進み居るが故、心界と意界との相違は恰も表裏の関係となり居るなり。されど意界の人類と雖もややもすれば守る方向にのみ囚はれて、心に油断を生ずることあるに依て、是も亦一方的となるによって、或場合に於てはそこに欠陥を生じて、進化の程度はにぶくなり居るなり。是等の事柄は前巻を参照して考ふれば察する事を得るならん。されば世人は是等の界の事柄を、前巻を参照して空想し見ば、自づと斯る世界は彼是と想像すること難きにはあらざるべし。世人に対して空想に依て是等の界の事柄を想像しめんとはかり、隠形の人を例として示めしたるも、我等の意のある処なればよくよく考へて、熟読玩味せられんことを望む。世人の智能にて如何に空想をたくましくして、誇大に是等の界を想像すとも、到底その界のすべての事柄の、万分の一をも想像することは難し。かばかり是等の界は進歩発達なし居る世界なるが故なり。世人の世界の人類は、人間を最高のものと思ひ居るが故に、何事に対しても心の持ちかたを誤りて、為に迷ひを深くし居ること少なからずあるなり。己の智慧の及ばざる時は、是を迷信妄信とか称して顧ざること多し。故に人智は行き詰りて進まざるなり。されど九流界以上の人は斯る誤りたる考へをなさず。不明なる事あらばその事柄に対して、智慧を働らかせ及ばざる時は、上位の人に教へを受けて、其解決を何処迄も究め尽して、はてしなく智慧を磨き居るが故に、如何なる事柄に対しても、究め尽す智力は具はり行くなり。是等は世人の学べき事にこそと我等は願ふものなり。
 自然の力はその範囲きはめて広し。自然より自然へと智識を延ばしなば、如何に不思議なる事柄と雖も、解決することは得らるる道理をよくよく究めよ。徒らに迷信妄信として捨つること勿れ。究めて後に於て迷信妄信としての道理を、解するに至って始めてすてよ。我等よく知るところなるが、世人は迷信ならざるものをも、己の智慧に依て解する事を得ざれば、迷信と称して等閑に附し居ること多きを見る。是等は己の愚を表面に現はして、謂はば恥をさらしたるにすぎざるなり。慎むべし。

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