未知日記霊話集  第六百二十一回  帰途案内記  転界の巻 八流界の人類  セイキョウ貴尊講義


覚者慈音1302
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 156
更に八七六流界に到る迄
                 セイキョウ貴尊 講述
 

 現在世人の世界はかくの如き肉体本位の階に置れ居るが故に、是を直ちに明らめ得る事は容易の業にあらず。されど我等の説によって納得するところあるならば、身界を向上せしめて身心界の方向に、転ぜしめん事を計るに不如とは考へざるか。よくよく我の説を翫味して一段の工夫をなしては如何 !  然して身心界の様を朧気ながらも解し行くならば、従って宗教も邪宗邪教は自然消滅して、正しき宗教は現出するに至らん。試みに我、世人に問ふべし。世人は真の幸福とはとは何かと質問せらるれば、是に対して明確なる答へをなすもの一人としてあらざるべし。斯る智慧なき世人の世界にて、智慧を磨かずして徒らに世を過し居るならば、何時かは身心界に上る日の来らん事思ひもよらざるなり。先に語りし無智のおきく婆さんにも劣りたる世人の智慧にて、進化論を如何に研究すとも得られざるは、当然なりとは考へ居るざるか。余事にわたりて申訳なし。さて話をもとに復して語らん。
 世人の世界と身心界とは、その形状風土気候等々に於て、何等異なるところあらざれども、智識の程度に於て隔あるによって、身心界の人々は是を巧みに応用して安き日を送り、且つ又尚も世の中を向上発達せしめ居るなり。是等は何に基因するかと云ふに、所謂肉体本位にあらずして智慧の程度を、発達せしめ居るによつてかくも相違はあるなり。若し汝等の世界ならば、人間によって自然を克服したりなど誇るならん。然るに身心界の人々は斯る言葉を、口にするもの一人としてあらず。自然に順応して是等の望みは叶へられたりとて、尚も自然に対しては益々研究を深くしつつあるなり。斯くて智識の程度は進化発達なし行くなり。世人の云ふ如く自然を征服したりと云ふならば、其にてすべては終りとなる。自然を克服したりと云ふ言葉と自然に順応しつつありと称する言葉とには、行き止まりと進むの相違は、大にその趣を異にするとは考へざるや。世人は些かのことをなし遂げなば、其にて終りとなるが如く考ふるが故に、人智は向上せざるなり。さればこそ身心界の人々は、大発見大発明をなし遂げ得るにて、是等は心を表面化し肉体を従へつつ進むによってなり。世人の如く肉体を先にし心を背後にをくが故に、ここに進化と退歩との相違あることに留意せざるべからず。心を前面に肉体を背後にせよと聞きて、世人はこの事に対して誤解なしつつある事に、気附きたれば聊か是に対して語るべし。 

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