未知日記霊話集  第六百十七回  帰途案内記  転界の巻 八流界の人類  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1298
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 152
更に八七六流界に到る迄
                 セイキョウ貴尊 講述
 

 意界の人言葉を継ぎて曰く、明鏡は明らかにものを映す。鏡くもらば明らかならざるべし。所謂疑ふ心はくもりなり。くもり晴るれば、清らかなるが故に、影を宿す。法にはすべて限度を有す。我が行ひし法は未だ完全ならざるが故に、正法とは云ひ難し。所謂順法にすぎざるなり。もしこの法が正法とならば、如何に汝が努力すとも我影を見ること難からん。さりながら汝が行ひしは逆法にて、混濁の程度濃厚なるが故に、看破せらるることも容易なり。されど我が用ひしは順法なるが故に、汝の力よりすぐれて普通の眼力にては見ることあたはざるにすぎず。我等の界にては正法の真髄を究むること難けれど、その正法に順じて用い居るが故に、逆法との相違あるなり。所謂正に従ふ法なるが故なりと語りたるに、心界の人是を聞きて大に悟り、然して彼に向ひて我暫く此地に止まりて行じたければ許されよと乞ひたるに、意界の人々是を許したり。然して彼は大に学び大に行じて徳をつみ、軈てその行半ばを過ぎるに至って、此意界の人々に対して我を永久此地に止めよと願ひたるに、意界の人々曰く、「汝は心界の地に置れたる人なり。我界に止まるは分にあらず。よつて天分を全うする迄は、神の許し給はぬ事なれば、立ち帰りて心界の人々を励まし育てて、軈ては我界と同様の居に至らしめよ」と誡めて彼を退けたり。
 彼此地を去るに及びて、又も心に思ふやぅ。我此行を大抵修めたれば今一段進みたる(六流界)心意界へ至りて、尚も修養せんとの考へを起し、この度は順法の隠形をなして心意界に入らんとたくらみて、軈て心意界に渡りたり。然るに何ぞ計らん。その法は忽ち破れて何の効果もあらざりしかば、彼驚きて心意界の人に向ひて事実を語り、何故に我法力は通ぜざるやと尋ねしに、心意界の人笑ひて曰く、汝等の法は順逆何れにもあれ、法力にて此処に来らんとするも其は及ばじ。我等の界にては心界意界の法力は、すべて究め尽されあるが故に、如何なる事をなし来るともそは及ばざるべし。何となれば隠形の法はたとえ順にもあれ、又逆にもあれ隠れんするには、何か其処に一種の計画あるによってなり。その陰謀の心こそ既にくもり居るにてはあらざるか。くもりはくもりなり。故に清らかなるものには其影を宿す。是当然の事にてはあらざるか。故に法は法によって組織もされ又破壊ともなる。此理は汝等も察られるならん。徒らに愚なる法力を用ゆる勿れ。汝、心界の人にして意界の教へを受け、更に進んで我界の教へを受けんとなれば、法を用いず、進むべき明らかなる道を択びて、其によって進み来らば、誰か汝を捨つるものあらん。
秘密なき我等の世界なれば、かくさずものを教ぅべし。然るに密かにたくらみて其地を探らんなどとは、是順法にも逆法にもあれその企ての心は悪し。斯る不正なる心もて、我界の教へを受けたりとて、その真髄を究むる事難からん。濁りたる心は早く捨てよと誡められて、彼は又も心に思ふやぅ、我、意界に至り行を重ねて、正しき心になりたりと思ひ居たるに、未だ不正の心を抱く。実に愚なるものかなと深く反省するに至りたり。彼又心意界の人に向ひて、此界の人は五流界に到ることを得るやと尋ねたるに、心意界の人曰く、然らず、魂界の人とは耳目の交はりをなすことを得れども、肉体を運ぶ事は許されざるなり。汝この界に於て修養修行しすべてを知り尽したりとて、魂界の人との相違は全く異なり居るなり。我界の人々は魂界の教へを受けて行じ居れど、其は唯耳目の学びにすぎざるなり。この理を知らんとならば先づこの鏡を見よとて、一枚の鏡を彼に示めしたり。心界の人此鏡を見て驚嘆なしたり。其は他ならず。彼意界に於て修養修行したりし経路は悉く此鏡に映りたるのみか、此界に至らんとして己が心の変りし姿、其より法によって隠形をなしたる事柄より、此界に来りて姿の現はれたる処迄、その一々が明らかに映り居りたるを見たる故なり。

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