覚者慈音300

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の五                         NO247
大霊界入門記    後編                 
第七、フク 反復門 (仮称) 一名奮起門 (仮称) とも云ふ                                                    その16
                       教主寛大講述


 


 是が平衡を欠く時は、法の力を現はすことを得ずして一方的に終るは必然なるべし。ここに法と云ふことに於て考究し、然して其法をはたらかすることに対して気光素と光気素の何れかを知り、且つ其によって更に追究して研究せば、完全なる魂となることは難きにあらず。又むづかしきものにもあらざるなり。テッシンが語りし俗歌の最後の無言詞を聞く力、汝等に備はらば無言詞を聞くことは得られ、又無言詞の大切なることも推して知るに至らん。
 汝等幼児を見て唯愛らしとのみ思ひて己が修養の為には無関心なるべし。女の子はやわらかき玩具を好み、男の子は剛なるものを悦ぶ。是等は自然より現はれたる姿なり。柔は引力を意味し、剛は圧力を意味す。故に幼児より既にこの引力圧力が自然に現はされ居ることに着目せば、小児の教育に於ても亦修養に於ても大に得るところあるべき筈なり。わけて嬰児の愛らしきは気素の引力の力なり。この場合親の光素が是に和せんとして行動す。是自然の現象なり。唯何となく引かるるは引力に依ってなりとの理は察せられるならん。ここにこの点より想像すれば何か其に対して大なる悟りはある筈とは思はざるや。汝等物事を考へて万策尽きたる時ここに又一種の異なりたる現はれより新智識を得て其その苦よりのがれし体験はあるならん。是等は光気素が気光素に変じて、然してその気光素より無言詞が伝はり来りて、有言詞に化せられる故なりとは思はざるや。万策尽きて更にその解決を計らんとするは光気素の力劣へて、然して何か求めんと望むは是引力に他ならず。圧力変じて引力とならば何か来るものを求めざるべからず。その求むるものは何ぞ。即ち空なり。大自然なるべし。大自然の力を求むるならん。不変化自然の力を冀ふならん。是即ち霊に順ぜずば得難し。霊とは何ぞ。霊は零なり。魂は霊を求む。即ち気光素は無言詞なる霊と結合せんとなし居る姿なり。是引力なり。
 汝等よく云ふ窮すれば通ずとはこの意味に他ならず。是即ち無言詞あるによってなり。その無言詞を与ふるものは誰ぞ。不変化自然に他ならず。不変化自然とは誰によって作られしやと深く検討せよ。言葉なくして求め得らるる世界こそ住み心地よしとは感ぜざるや。言葉なくしてすべての処理をなすことを得ば智者も愚者も皆一様となる。斯る世界にあらざれば平和は否安楽は求め難し。其世界は果して何処にある。汝等諸子の生活は言葉に重点ををきて其言葉によって世を建設せんとなし居るならん。然りとせば言葉は最も大切なるものとなるは云ふ迄もなし。其言葉が如何になすとも知り得がたきものならば人智も亦進まざるべし。然るに事実は然らず。進歩発達なしつつあることは、汝等太古より現在に至りし順序を考察するも明らかなる如く、其変化の度は或は高く或は低くなりて、高低互に順逆して組織されつつ来りしにはあらざるか。小さき汝等の肉体に於ても汝等は活力要素のそなはりある故に、人は成長し天命を全うするにてはあらざるかと語り居るを我等は聞く。小さき肉体に於てすら是を育つる力あるならば、肉体滅後に於ても亦同様の活力素の働きなかるべからず。人身は一代なり。されど人間は一代にて果つるものにあらざることは云ふ迄もなしとは思はざるや。有言詞によって汝等は教育され居れどその有言詞を生める源へと眼を向け見よ。無言詞界の具備なければ全宇宙は亡ぶることもあらん。汝等この点によくよく心を馳せよ。さらば得られん。無言詞界に魂をおくることに努力せよと教ゆるものなり。




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