覚者慈音298  第十二巻   大霊界  第七、フク 反復門 (仮称) 一名奮起門 (仮称) とも云ふ   教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の五                         NO245
大霊界入門記    後編                 
第七、フク 反復門 (仮称) 一名奮起門 (仮称) とも云ふ                                                    その14
                       教主寛大講述


  無言詞は気光素にもあれ光気素にもあれ何れにも通ず。故に光気素にて現はさんとせば光気素となり、気光素にて現はさんとせば又気光素ともなる。無言詞とは即ち気光素光気素の一体化したる備はりを有するものにて、所謂不変化自然と変化自然の両者のはたらきをなす。是を正しき無言詞と云ふなり。この程度に迄心魂を伸さずば霊は正しき方向にには向はざるなり。霊は何れにもくみす。故に絶対とは霊を措いては他にあらざるなり。
 諸子はこの意味を解することあたはざらん。其は文意の拙きによるとのみ考ふることなかれ。是を巧みなる文章にて現はすことは決して至難にあらず。されど文意の拙くせしは我に考へありてのことなり。故に具体的には語らずして曖昧に認めさせたるのみ。されば深く深くこの点に意を用いて無言詞の如何を認知せよ。是を読み居る人、心苛ちて疼痛をすら感ずるに至らん。其は我等承知の上なり。汝等は赤子を見て愛らしと思ひ接吻をすらなすならん。赤子は汝等に媚びを売るにあらず。然るに汝等はその愛らしさに接吻する如きは無言詞の作用が如何に効験あるかに思ひをはせよ。赤子の愛は無言詞なり。その力に引き入れられて彼を抱く。是無言詞が心に服用せられて薬となり、然して其作用が肉体に迄通じ来りて抱き上ぐる結果となるも、無言詞の力の斯る点に於てすら現はれ居ることに意を用いなば、其を延長して何か大なるものを獲得することは明らかに察せらるる筈なり。
 我、汝等の世界が光気素の言葉を用い居ると語りしは余の儀にあらず。光気素とは圧力にして気光素とは引力にも通ず。汝等は自尊心とか優越感に囚はれて空威張りをなし居るならん。是等は無言詞が光気素となり居るによって圧力の程度に相違あるのみ。わけて日本人は天皇を尊び居りしため天皇を知ると知らざるに不拘、尊敬の心より通行に対して路傍に跪きて頭をたれ居りしは、是圧力のはたらきに他ならず。然るに今や天皇も人なりとの心より通行に対しても彼に接触せんと近より居るにてはあらざるか。彼に接触せんとするは即ち融和せんとの思ひなるべし。所謂天皇の魅力に引き入れられて接触せんと計るも、是天皇が気光素の作用をなし居るによって引力化せらるる結果に他ならず。是等に依っても引力と圧力の相違は察せられるならん。今やアメリカが主権者たらんとし、ロシア又主権者たらんと諮り居るも、是圧力の度をたかめんとなしつつあるによって、平和は望まれざる道理も是によって察せられるならん。是が光気素なるによってなり。もし気光素となりて互に融和せんとせば、平和の得られざる道理あらんや。気光素は引力なるによって互に接触して争はざる結果となるは云ふ迄もなし。汝等諸子は是を思はば深く深くその事柄に対して考慮せよ。是等すべては無言詞の作用なりと知るべし。 

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