覚者慈音283  大霊界入門記    後編                  第六、コゥ 活躍門 (仮称) 一名無不成門 (仮称) とも云ふ  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の五                         NO230
大霊界入門記    後編                 
第六、コゥ 活躍門 (仮称) 一名無不成門 (仮称) とも云ふ                                                   その8
                       教主寛大講述


 或人仙人のもとを訪れて如何にせば仙人になれるかと聞きたる時、彼答へて曰く、何日迄も年齢をとることなかれ。歳をとらざれば仙人となる事疑ひなしと教へたりと云ふ、道話を我は聞きたり。味はふべき言葉なるべし。汝等は年齢をとりすぐるによって希望はたゆるなり。常に百才の童の如く千年万年の齢を重ねたりとて、我は童子なりと思ひ居らば齢はものの数ならずならざるべし。未来の光明に照らされて希望をすつることなかれ。前途を暗くせざれば一寸先はおろか千里万里も明らかとならん。希望より希望をすてずして一寸先楽しと思はば現在の苦は消滅す。たとへば病める人一服の薬にて治癒すると思はば、刹那の苦みすら消滅するならん。されどその苦みが薬によって治癒するか否かと不安の心にて飲み居らば、薬も効果なく苦みより苦みの度加はり治癒も容易に得られざるべし。この理をよくよく考へよ。病める人今病みて苦しけれど、やがて平癒の楽みあらんと思ひ居らば、病苦もさして苦痛とはならざるべし。我、今はまづし。されどやがては長者とならんとの希望を貯へて暮し居らば、楽みより楽みの連続となる。年齢を考ふる時は我最早老いたり。この年齢にては到底望は叶ひ難からんと思ひ居らば、最早希望は其迄にて終る故に、苦みは深刻となりて怨み妬みの心が絶えやらず、悶々として果は死する他なかるべし。仙者の教へたる如く年齢を考へずば、仙人となること難きにあらざるべし。生よ生へと生を追ふて進むべし。死より死へとの考へは早くすてて決して死を追ふことなかれ。たとえ百才なりとも我は未だ三才の童子なりと思ひて生を長くせよ。然して前進の希望を棄ることなかれ。其は即ち修養修業の方法なりと思はば加ならん。希望をすつるれば生命ありとも其は死者なり。汝等よく云ふ、死んでも生命のあるようにと云ふ言葉は生より生の希望なるべし。その心して行ぜよと勧奨むるものなり。

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