覚者慈音278

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の五                         NO225
大霊界入門記    後編                 
第六、コゥ 活躍門 (仮称) 一名無不成門 (仮称) とも云ふ                                                   その3
                       教主寛大講述


 当年九月22日こだま会に於て泰岳が語りし如く、大霊界に於てはかばかりと云ふことなし。汝等諸子の世界に於てもかばかりと云ふことに心せよと教へたり。汝等諸子の世界には大小軽重の区別をなし居れど、大霊界には斯る事のなければかばかりと云ふこともあらざるなり。汝等衆人の平常用い居る言葉によれば、「柳の如く横着者とならんより寧ろ樫の如く剛直たれ」と云へる教へをなし居ることを我等は聞く。汝等の言葉の如く柳は左右何れにも従ふによって、横着者と見なし、たとえ折るるとも、樫の如く剛直になれよとの意味ならん。善にもくみし悪にもくみする如きは、横着者にてたとえ正にもあれ邪にもあれ、一方にくみしてたとえ折るるとも樫の如くたれとの譬喩ならんも、是等はすべて変化自然に順応せよと云ふ事にて、不変化自然を知らざるが故なり。柳を横着者と見るも、又樫を剛直者と見るも、汝等が変化自然を考ふる故なり。汝等諸子は一を知りて二を知らず。柳にもあれ、樫にもあれ、すべては大自然より育てられ居るものにして、変化自然を主となし居るにあらず。不変化自然より見る時は、柳は横着者にあらずして変化自然をそのままに受け入れて左右共にくみし居れど、其基本とする所は不変化自然に順応して、己が使命を全うせんがために、斯くは何れにも変化の力に従ひ居るのみ。されどその蔭には己が使命を全うすると云ふ、大なる役目を忘れざるが故なり。樫の如く剛直にして折るるも是又、大自然の法則あるによってなり。何とならば変化自然に堪え難くして折るるも、其は変化自然に耐え難き力よりあらざるによって、謂はば発育不良の結果なれば是は是非なし。されどたとえ折るるとも亦其々適所適宜に定められたる分に服することは云ふ迄もなし。是不変化自然の法則あるによってなり。樫の折るるは虚弱者なるが故なり。柳は始めより柳としての任務に服し居るのみにて、始めより折れざる具備を与へられ居ることは、是又不変化自然の法則なり。横着者にあらず。汝等口にする言葉に「口巧者なる者は横着者なり」と云へるあらん。是等は根本の使命を忘れて唯変化自然に重点を置く徒輩に多し。汝等諸子は余りに変化自然に重点ををき居るが故に、横着者は多し。されど人間は人間としての任務あり。その任務を全うせんが為に便宜上柳の如く、或は右し或は左することありとも、己が本分を忘れずばその人は横着者にはあらざるなり。善人と云ひ悪人と云ふも己が天分を知りて、其任務に服し居らば大自然より見る時は、其は真の人間にして善人にもあらず。又悪人にもあらざるなり。


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