覚者慈音277

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の五                         NO224
大霊界入門記    後編                 
第六、コゥ 活躍門 (仮称) 一名無不成門 (仮称) とも云ふ                                                   その2
                       教主寛大講述


 汝等諸子の肉体に於てもコウの門の具備はあるなり。その具備が智識によって拡大強化すれば、軈ては芽を出し葉を出す時節到来せん。汝等衆人夢を見てある時、醒めて其夢を考へ見よ。夢の中に於て高き所を飛びまわり、或は大海原を歩みて溺れず、今ここに山あるかと思へば大都会に遊ぶ等の、夢ならでは事実にては及びもつかざることを、夢中にて見ること多からん。是等は変化自然の現象にして、錯覚作用とか称し居れど、幻影と云ひ錯覚と云ふも原因を主としてたしかむれば、是等には何か根拠ありての事なるべし。根拠なければ夢中に現はるるものにあらず。又幻影にも見ること難し。夢は五蔵の患ひなりとして取るに足らずと思ひ居れど、夢を深く研究し見ば何か其には根拠ありての結果に他ならず。夢を学理的に応用してその真髄をたしかむれば、大なる発見は得らるる筈なり。是は幻影なり。夢なりと放棄なし居りては物の理をきはむる事難く、又大自然の道理をきはむることも得られざるなり。夢なればとて幻影なればとて、そのものに拘泥らず、幻影錯覚の起る源をたしかむればそこに又新しき何ものかを発見することも得らるる道理あらん。
 是等は全宇宙の大自然の具備の影響に他ならず。汝等の肉体一個一個の細胞がすべて全宇宙の具備より現はれ居るものなれば、一個一個と雖も帰するところは、全宇宙の具備より現はれたるものなるによってなりとは気附かざるや。一塊の土一滴の水すべて大自然の余波にすぎず。されど其土その水すべては大自然の現はれなれば、是を大自然に返せば小さしと思ふはあやまりなるべし。汝等衆人事によりては、一滴の水にも及ばざることもあるならん。斯く考ふれば一滴の水たりともおろそかに取り扱ふことはなし難し。大自然に順応すれば空気の中の一分子たりとも、おろそかに取り扱ふことはなし難からん。是等はみな汝等衆人の兄弟姉妹或は親子の関係とも見なして可ならん。斯る点迄智識を伸すならば深淵きはまりなき、全宇宙は即ち汝等衆人のものとなるなり。然して其を応用せば神変きはまりなき全宇宙はすべて汝なり。我斯る事を論ずれば汝等諸子は我を狂人として取り扱ふや。されど我は狂人にはあらざるなり。狂気にもあらざるなり。是を知らざる汝等こそ、狂気狂人なるべし。然とは思はざるや。人間の生存するは活力素の具備あるによってなりと称し居る学者もあるならん。その活力素なるもの何れより来りしか知るものたえてなかるべし。又斯ることを研究せんとなし居る学者もあらざるならん。汝等衆人の智識は斯くの如く微々たるものにて、我等に云はしむれば汝等衆人こそ狂人狂気なりと云ふの他なし。我等は汝等諸子を愚者として嘲り嗤ふものにあらず。又我等は斯ることの理をきはめたるものとして誇るものにもあらざるなり。誇りて何の益かある。我等は唯事実をそのままに知らしめ居るにすぎず。

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