覚者慈音263

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                         NO211
大霊界入門記   前編                 
気光素と光気素について                                               その6
                      教主寛大講述



 実の親子は色素の程度濃厚なるが故に、親子の交りも同一となる。他より交はりたる親子は其色うすきが故に、実の親子とのへだたりはあるなり。故に互いに和して同一の色となさば、其にて真実の親子と他より来りたるものとは、同一の結果となることは云ふ迄もなからん。他人に於ても亦然り。是を我等は心の愛と云ふなり。我等の語る神は即ち是なり。神はそのすべてに対して皆其々に適合する染色を送りて、皆其々に同化なせしむる力を有す。然してあますところなし。故に神の愛はすべてに及ぶと教へたるなり。神はすべてを作りたる親なり。故に親子の関係は真実の親子と同様にして決して変ることなし。されば神を信ずるものはこの心掛けにて神に向ひ居らば其にてよし。別段斯くありたしとか、斯くせられたしとか頼むの要はあらざるなり。祈らずとても神は守る。求めよ、得られんと云ふは、求めよとは神に対して面をむけよと云ふ言葉の意味にて、神に離るることなく又神より遠ざかることなければ其にてよし。唯神を忘れぬ心がけこそ肝要なり。是等の点に関しては未知日記に於て語りおきたれば、今一度読み返へして参考とせよ。神と我との色を濃厚(こく)して神の心と同様の色に迄染まることに、尽力することを信仰の力を強くせよと云ふなり。神の色と同化するには己に他の色素を含ませ居りては其色は変色す。よって己を清水になして、神の色を受け入るるにあらざれば同化することあたはず。故に己を清水に化せしめて、他の色を交へぬやぅ修養修業をすることを信仰と云ふなり。
 兎に角気光素とは神より伝はる方法にて、光気素とは己より送る方法なるが故に順逆をあやまつなり。されば気光素を受け入るるそなはりを己にそなへ、又己より送る気光素を考案して、神と我との相互関係を計らば、其にて望みは果さるるなり。気光素電気に対して光気素電気を送らば混電して通ぜざるは云ふ迄もなからん。上界よりは気光素を送り居ることと承知して、是に対して下界よりも気光素の方法を考案せざるべからず。是等に関しては四大後門に於て語ることとせん。


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