覚者慈音259

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                         NO207
大霊界入門記   前編                 
気光素と光気素について                                               その2
                      教主寛大講述


 更にこの事柄より気にも陰陽の区別あり。光にも陰陽の区別あることも亦推して知ることを得ん。気にも光にも皆其々陰陽の区別あるによって、同じ用いかたにも其々意味を異にす。気を外面に伸出せしむれば陽となり、内面にはたらかすれば陰となる。光に於ても亦同様の関係となるなり。故に十二気のはたらきには其々六個づつに区分することも得られ、又是を十二陽気十二陰気にも区分することもあるなり。是を詳細に語る事は易けれど語り居りては枚挙に暇なし。兎に角音楽に於て十二律十二呂の関係と知らば可なり。是等を研究するにはその時々の事柄に対して考究なし居らば、自然にその理は解せられる事を得るによってなり。気を働かかると心を働かすと、又光をはたらかすと心を働かすとの区別を明白になしをかざれば、誤つことも少なからずあるなり。気を働かする事は世人は承知なし居るならんも、光をはたらかすと云ふことに対しては未だ知らざるべし。ここに気と光との区分について聊か語ることとせん。兎に角無言詞より受けたる気と、有言詞より受けたる気の相違は世人も経験したることあらん。即ち何かは知らず気にかかりて、その原因をたしかめんとして求むれど得られざる場合は、無言詞より来る気にして、求めて是なりと得らるる気は有言詞なりと知らば、両者の区別は判明するならん。
 気にかかりて何かは知らず唯心を動揺さする場合は、既に気より光を動ぜしめ居るによって、肉体神経は同様して苦痛を覚ゆるなり。気と光は相似て等しからず。総じて無言詞は気に感じ、その気が更に光を作りて動ず。故に気は無言詞なりとせば、光は既に有言詞のはたらきをなし居るとも見らるるなり。兎に角気は冷にして、光は熱なり。されど冷は寒に向ふ時、是は熱を伴はず。寒気加はりて全く熱を離れて、氷となる如く化せられるによって、是等は陰の気に属すと知るべし。されど気に光気加はらば熱となりて沸騰する方向に向ふなり。故に是は陽にはたらく。光素より無言詞を受けてのはたらきは熱を伴ふが故に、是は光気素となりてすべてを破壊す。気素より受けたる感じが光素に和して程よく塩梅すれば、是は気光素となりて組織をなす。故に気より受けて光に及ぼすならば気光素となるによって、すべてに満足を与ふることを得るなり。されば光気素は危険を伴ひ、気光素は安静を保つ。よって汝等修養修業気光素の用法を認識してこの法によって事を処し居らば誤ちは少なからん。光は熱にして気は冷なりとの区分を悟ること肝要なり。

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