覚者慈音258 大霊界入門記 前編  気光素と光気素について 教主寛大講義



未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                         NO206
大霊界入門記   前編                 
気光素と光気素について                                               その1
                      教主寛大講述


 今迄語り来りたる大霊界に於てチ(ッ)、シュ、キュ、ジョウの四つの順序を規律正しく学習し終はらば是にて前門は終はりたるなり。未知日記前巻に於て四大前門四大後門と記せしは是なり。この四大前門に於て気光素の原理を習得なすことを得たるなり。即ち自在論に於て語りたる空源体性、別れて気源体性光源体性と語りあることに考へをめぐらすべし。我、語りたるチの門に於て十二、シュの門に於て十二、キュの門に於て十二と語りしは是なり。十二の気体十二の光体是を動ぜしむる気光体或は光気体共に合して、仮に千七百二十八と語りたれど、是は全部の数を知らしめたるにあらず。所謂その全体より大切なる線を引き出して、仮に十二光十二気動静によって千七百二十八と仮に定めたるにすぎず。
 是は音律を現はしたる関係と同様にして、騒音より正音をぬき出したるに等しと思はば可なり。十二気とは即ち六個の陰気と六個の陽気を合したる数にして、気にも陰陽の区別あり。光体に於ても亦同様にして、是が陰陽の関係によって結合せられ十二気十二光の組み合わせをなす時百四十四となる。されど是等は平面的にして立体ならねば、この両者の平面的組み合わせを更に立体的に、動静十二気十二光を設けて立体化せしめたるものに他ならず。是等より易学の四千九十六と計算して作られたる陰陽動静の理論と、同様にして一体となり居ることは語る迄もなし。是を簡単に説明すればチの門は気体学、次の門は光体学、キュの門は動静陰陽の学、更にジョウの門に至って是が応用法を、究め尽すことを得たるなりと知らば可ならん。是等に関してくはしく説明すれば容易のことにあらず。よって是等は省略す。されど気光素に関していささか語るの要あり。何となれば汝等衆人は修養修業に関して誤ちたる方向に向ひ居ること多ければ、是を是正せんがためには、気光素と光気素の区別を明らかに知らしめおかざれば誤ちを重ぬること多し。故に是等の事についていささか述ぶることとせん。先づ気について考へ見よ。汝等衆人は気にかかると云ふ言葉を用い居るならん。然らば気にかかるとは如何なるものにかかるか。気も心なり。されば心にかかることは気にかかると云ふに、気にかかると心にかかるは相にて等しからざる点を発見するならん。又彼は気位高き人なりとか称する言葉もあらん。この点より考ふれば気とは暗にして明ならずとも見らるるならん。謂はば太陽によって地上に投げられ居る影と同様とも見らるるならん。彼に気を送りて我思ひを知らせんと思ふ時、汝の心の状態は如何になり居るかを考慮し見よ。心を送ると気を送るとの相違あることは己にのみ判明すれど、是を人に語るには如何なる方法を以てすべきかを知ること難からん。気の学問はきはめてむづかしきものにて、チの門に生まれたるものと雖も是を修するには一方ならぬ任務を有するなり。是を簡単に説明すれば、心とは気と光の合体したるものを意味し、気とは光の影なりと見なさば可ならん。故に心は気光の合流にして、気とは光気の何れかに、別れたるを意味するとも見らるるならん。気は光の影とすれば、光は気の影とも見なすことを得るによってなり。気を陰とすれば、光は陽となり、光を陰とすれば気は陽となる理もうなずかるるならん。

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