覚者慈音18    母の葬儀

母の葬儀
今日は私の母の通夜、明日は葬儀と続く。ベッドに横たわるその姿を見て、おもわず人目も憚らず号泣してしまう。涙が出ることなどここ何年もなかった。母はこの一年間寝たきりの生活になった。同じ姿勢を長時間とることはできない。妻とふたりで日に何度も体の向きをかえた。この苦行はヨガの行者ですらきっと悲鳴を上げることだろう。
10日ほど前までは母の協力もあって幾分スム-ズに体の移動はできた。しかし衰弱が激しく二人で力をあわせてもなかなか母の体は思うように動かなくなった。

母はこの一年間「すまないな」「ありがとうな」の言葉を手を合わせて感謝の気持ちを私たちに伝えてきた。妻は「おばあちゃん程手のかからない人はないと看護士の方、幾人も言っていたよ」と笑顔で答える。明日からはこの生活も一変する。心にぽっかりと穴があいたような気分だ。
今生、母から生まれ、母の乳房から栄養を頂き、この世に私ごとき者を送って下さった最大の恩人。そのことに対し今、心から感謝している。私の涙は滂沱としてやまない。今これを綴りながらも涙が自然とあふれくる。「おっかあさん、また違った時空でお逢いしましょう。それまでどうぞお元気でやすらかにいてください」
人は永遠にこの大宇宙を旅する旅人。幾度も幾度もその人とめぐり逢い、別れを繰り返してきた。顔も形も声すら変わっていても、魂は互いを認識し再度の邂逅を可能にする。

もうじき葬儀社の人が打ち合わせにやってこられる。今日はこの辺りで。

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