覚者慈音257 大霊界 ジョウ完成門 (仮称) 又は組織門 成就門  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                         NO205
大霊界入門記   前編                 
第三   ジョウ完成門  (仮称) 又は組織門 成就門   (仮称)                                               その12
                      教主寛大講述


 心眼霊眼の明らかなるものならば天界に来らずとも、その居に居ながら是を見聞することを得るなり。肉眼と霊眼はかくも相違あることに意を用いよ。然して早く霊眼を開きなば大霊界は汝等のものとならん。居ながらにして天界を知ることを得ば、肉体滅後は斯くの如きものに化せらるると云ふ事実を知るによって、未来は迷はざるなり。例へば汝等諸子の世界は今や戦争か平和かの事にのみ、全人類が頭を悩せ居ることによって、空間に現はれ居る気光素の有様は、全土に拡がり居るを汝等諸子は見聞することを得るや。光気素のはたらきが地球を藪ひて、全世界が戦争か平和かの二道によって飽和しあることを知らず、唯人と人のみの其時々の報道のみを聞き居るによって、戦争か平和かの結果を知ることあたはざるなり。光気素を見る力あらば既に戦争か平和かが判明なすことを得らるるなり。もし戦争となるものならば光気素は益々その度をたかめて、戦争の方向に向けらるるが故に干戈を交ゆるに至る。平和ならば光気素が次第に減少して軈ては影を没す。斯くならば最早戦争とはならざるなり。
 我、今光気素と語りて気光素と語らざりし点に対して、汝等諸子は深く注意を払ふべし。例へば旱魃に対して雨乞ひをなす如きは、是等は気光素に属するものにて、光気素
にはあらざるなり。されど戦争か平和かの二道にわたり居らば、其は気光素を作るあたはずして、光気素となるによって此点に対して、気光素と光気素の区別をよくよく考へざるべからず。平和を望むならば気光素を作るべし。戦争を望むならば光気素にて可なり。

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