覚者慈音246  未知日記講義第一二巻  大霊界  ジョウ完成門  教主寛大講義     教主講述

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                         NO195
大霊界入門記   前編                 
第三   ジョウ完成門  (仮称) 又は組織門 成就門   (仮称)                                               その2
                      教主寛大講述


 ジョウの門に入らば既に前途を明らかに究め尽くし知り尽くすことを得るによって、この所に至りて如何なることをなし得るや等も併せ知る事を得るによって、ジョウの門と名づけたるなり。汝等諸子は前途明らかならざるが故に、悩みを感じて安からざる生活をなし居るによって、生活上苦痛を感ずるならん。前途暗ければ生活上の行為の上にも方法は浮ばざるによって、生きることも苦みは益々加はる。前途を明るく知りて世渡りをなす方法等も、併せ明らかとならば生死の悩みはあらざるなり。前途に望を抱くが故に死を厭ふならん。前途の希望を失はば生を厭ひて、死を択ぶは汝等諸子の心理ならん。生るれば死すと云ふ法則は如何に智慧すぐれたる人と雖も、是を曲ぐる事は得難し。学理によって生死を自由になすことは、如何に学徳を具備るとも是を曲ぐることは得られざるべし。前途を知り又その如何なるかを究めつくす得れば、生死などは問題とはならざるなり。前途の希望を失はば死を択ぶの他なし。我等よく聞くところなるが彼の病人は医薬の力によって必ず治癒すること疑ひなし。されど彼には医薬を求むるべき金品なきが故に、生きるべき方法あるに不拘死を余儀なくせしめたるも、金品のそなはりなきが故なり。金さへあればよかりしに貧はつらきものなりと語り居るを聞きて、我等は不憫なるものと感ずること屡々あり。我等の不憫と感ずるは貧富の区別を云ふにあらず。生死の明らめが正しければ、かかる愚言は口にするものにあらず。無智無能の徒輩は斯くの如き思ひにて世を渡り居るが故に、正しき明らめは得られざることを不憫と思ふなり。金品財宝の有無に不拘生きるものは生き死するものは死するの道理を知るには、大自然の法則を明らむるにあらざれば得難し。
 ジョウの門の人類は前途の明らめを学し尽くして迷はず、惑はず、故に明らかに楽みより楽みへ運ばれつつあることに留意せよ。汝等諸子は肉体を有する間にジョウの学徳を修めて、前途の光明に抱かれんことに専心努力せば可ならん。肉体を離れて後の修養修業はきはめて困難なり。セイキヨウが云ふ如く稔らざる米を刈り取る如きことは誰もなさざるべし。されば肉体を有する間にジョウの学徳を修めて、前途の光明に浴せば肉体の有無に不拘、前途は明るし。

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