覚者慈音247   大霊界   ジョウ完成門  (仮称) 又は組織門 成就門   教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                         NO196
大霊界入門記   前編                 
第三   ジョウ完成門  (仮称) 又は組織門 成就門   (仮称)                                               その3
                      教主寛大講述


 汝等諸子の世界には長寿者は富者よりも貧者に多きことは我等よく知る。諸子の諺にも富者となりて寿命を縮めんよりは、貧者となりて長き世渡りをせよと云ふ教へもあるならん。真に味ふべき言葉なるべし。九流界の如き幼稚なる世界に不拘、天変地異によって災害を受くるもの一人としてあらざるは是何故ぞ。汝等諸子に云はしむればこの界の人類は、既に自然を克服したるものなるによってならんと。されど自然を克服したるにあらず。自然に順応して得たる喜悦なるによってなり。もし自然を克服したりとせば其は危険を伴ふ。視よ!、汝等世界の飛行機はややもすれば墜落し、汽車汽船は転覆する如き災害は、自然に順じ居らざるが故なり。是等と雖も自然に順じて造りなば斯る危険は生ずるものにあらず。毒を薬に変ゆると薬を毒に変ゆるとの相違は生死の開らきとなることは諸子も知るならん。自然に順ずると自然を曲ぐるとによってかくも相違あるなり。余事は兎に角汝等諸子肉体を有する間に、ジョウの学徳を修めよと語るとも、諸子には理解すること難かるべし。されど我等は机上の空論を語るにあらず。汝等諸子の肉体にはその学徳を修むべき智能のはたらきの具はりが、大自然より与へられ居ることを知るによって語り居るなり。現に慈音は五大鏡八大門を見聞して、既にその有様を修め居りて至るべき方向を、前途に明らめ居るにてはあらざるか。彼は無学文盲の徒にして何一つ知り得ざる愚昧の徒なり。にも不拘是をさとり得たる力は、彼の如き肉体にも備はりあることを、汝等諸子に知らしめんが為に大自然は彼を導きたるなり。慈音にして才能すぐれて学徳の具備たかかりせば釈迦キリストの如く汝等世界の人類よりもてはやさるるならん。釈迦キリストは己に修めたる事柄を言葉巧みに吹聴して、汝等諸子に知らしめたり。慈音は無学無能なるによって斯かることをせず。唯我等の語る言葉をその儘に此書に残しをきて、才能すぐれたる人の手によって後に後輩者の為に、世の中の為に役立せんとなしたるのみ。他に望みありての事にあらず。智慧なき慈音に於てすら悟らば斯くの如し。まして才能備はりある汝等諸子は、その学びたる学徳才能のはたらきが却って、わざわひをなして彼是思ひ惑ひて、天界の様など探知せんとはなさざるならん。故に知ることを得ざるなり。兎に角汝等諸子の肉体には、大自然の具備がある事に対してこの方向に智能をはたらかすれば、直ちに発見することは易し。徒に従来学び来りたるすべての学問より、是を測定せんと計り居らぱ其は唯時間つぶしにすぎず。斯かることをなし居りては限度ある肉体は亡びての後迄、連続すれば迷ひは益々深くならん。先づ従来学び来りたる学問等々を暫時の間応用せず、是等を棚に上げて、然して大自然より与へられたる霊魂を早く発見して後、棚より取り下ろして其れを応用せば望みは早く成就すべし。

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