未知日記寓話集  第百十七回  未来観  その2  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の弐                         NO56                                       未来観          その2                                                                                       教主寛大 講述

 千辛万苦の功なりて蓄積したる財産は、容易に覆る憂いなけれど何かの機会によって得たる財宝は、長からずして覆らん。斯る風習は諸子にもその例を多く見聞するところにして疑ひなき事実なり。是等に徴して考ふれば運命開拓とは己の本分を知り、その職責を全うする事に依ってのみ得らるるものにて、偶然の成功は正しき成功にあらず。世間の人が努力せずして得たる富を羨みて、己も斯くあり度しと願ふが故に羨みの心より誤たる方向に足を入れて、失敗の憂き目を見る事は是天理の然らしむるところにて、敢へて不審するには足らざるなり。長き努力と長き忍耐とにてその道を誤またず黙々として励み居らば、運命は次第に開かれて最後の結果は喜悦に化せらるるは、是又自然の法則より現はれ来る現象なり。幸運不運とは結果を見ざれば、判定し難し。即ち善因は善果を得るに反し、悪因は悪果を結ぶ。善因悪果となり行けば、其は善因にあらずして善因ならざるか、或は中途に於て何かの誤ちありしかに基因す。例へばよき種子を大地に下す時、その地質を択ばずして蒔きたれば善果は得難し。地質を択びて其れに相当する種子を下し、然して其に相当する肥料を与へ居らば必ず善果は得らるる筈なり。不屈不撓の心もて事にあたり居らば幸運は忽ち来たらん。先にも語りし如く三世は一体なり。未来は目前なり。故に一秒たりとも疎かにすべからず。一秒を疎略にせば其れだけ過誤も多し。一秒は過去現在未来の三世にまたがる。故に疎かにして怠慢の心を起せば三世に傷く。此理をよくよく考へて一秒たりとも疎略にすること勿れ。何となれば諸子の世界は相対性なるが故に、時間空間距離を有す。既に我等の世界に来らば斯かる迷ひはあらざるなり。即ち時間空間なき絶対世界なるによってなり。汝等諸子の世界には未知と既知との相違あれど、我等の世界にはかかるものはあらざるなり。即ち既知とは過去現在にして未知とは未来を指すならん。我等の世界は斯るものはあらざるなり。未知もなく既知もなきが故に時間空間数をも有せず。所謂不変の境涯なるによってすべては明らかなり。
 我等の世界は貧者もなく、さりとて富者と云ふものもあらざるなり。故に悲運と云ふものもなく、幸運と云ふものもなし。是即ち無言詞なるが故なり。汝等諸子の世界は言葉なくしてはすべての用を弁ずることあたはず。言葉あるがために種々様々迷ひを深くすれど、我等の世界は斯る必要なきが故に言葉なし。言葉なくしてすべてに通ず。斯る事を語るとも汝等諸子には到底理解すること難かるべし。六流界以上の人種ともならば、既に言葉などの必要なくしてすべてに通ず。汝等諸子の世界は言葉ありてすら通ずること難かん。斯る不自由なる世界に住みて、天界の事など彼是論ずるは愚も亦甚だし。されど我等は事実を知るによって是を語るのみ。敢へて諸子を籠絡なすにあらず。汝等衆人早く己の無知を知りて反省し大悟せよ。然して広大無辺の世界に一歩たりとも足をふみ入れんことに努力しては如何!
 

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