覚者慈音232

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                        NO182
大霊界入門記   前編                 


第一 チッ、 再生門 (仮称)         その2
                      教主寛大講述      



 生まれ出でて母は是を育つ。母とは誰ぞと云ふことに意を用いなば、何処如何なる所迄進み行くも、母は汝を守護し居ることに気附くならん。母とは誰ぞ、母とは誰ぞと追求せよ。地獄に行くも母あり。極楽に行くも母あり。母の力は広大無辺なるべし。母は積極的にして父は消極的なり。されば消極的の父とは誰ぞ。此処において絶対の母、絶対の父のあることに気附くならん。生れしは我にして産みしは母なり。又父なることに思ひを致さばチッの意味は理解することを得る筈なり。チを表面とせばッは影となる。チを裏面とすればッは表面となる。さらばチッとは何を物語り居るか。是を有言詞に現はして汝等の心に分かり易く説明するならば、チッは即ち父母の姿、或は父母の思ひやり、父母の心と見なして可ならん。父母なくして宇宙のすべては現はれざるべし。父母ありてこそ宇宙のすべては構成せられつつあるなり。
是をチッと称えてすべての事柄をこの二文字によって理解せしめ居ると知らば可ならん。大霊界のはじめの門は唯チッの二文字によって現はされ居れど、再生門として語るならばその範囲きわめて大きくして文言によって是を語り居らばはてしなし。チッとは斯くも広大無辺なる言葉にして、いわば赤子の泣声に等しと思わば可ならん。イイと泣く赤子の声は遠くにありても母は直ちにはせかへりて是を抱く。恰もその如くチの一字は神を呼ぶ一声なれば、何処にあるとも神は汝に至らん。故に厳戒の辞を称ふる人は、その心して称ふべし。さらば大霊界の門は開かれて汝等は神によって、否母に抱かれて迷ふことなく此所に移さるるは、空の原理なりと思ふも差支へなからん。厳戒の辞を称ふる人は、一六文字の言葉をすべての全宇宙の姿なりとして称ふる程度迄、進ましめんことを我等は望むものなり。
是無言詞によりて有言詞に化せしめたるによつて、その功徳は深淵なりと思ひて粗略になすことなかれと誡めをくべし。斯かる尊き言葉なるによって厳戒の辞と仮称して諸子に知らしめたるなり。現今の宗教者が語る往生とは大霊界を指すにあらずして選魂界を語り居るにて他ならず。選魂界に往生したりとて何かあらん。これより後の苦患は一朝一夕のことにあらず。真のすぐれたる往生、即ち再生門に生るるにあらざれば、真の往生とは云はれざるなり。仏教の極楽と云ひキリストの天国と云ふは、肉体を離れて直ちに移さるる選魂所にして極楽にあらず。天国にもあらざるなり。汝等諸子は肉体を有する間に再生門の有様を見る力を養ふには、油断なく厳戒の辞を称へて、無言詞によって神と語り、大自然と語る底の処迄至らば、大霊界の姿は居ながらにして手に取る如く現出し来たらん。




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