覚者慈音231 大霊界入門記  第一 チッ、 再生門 (仮称)  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                        NO181
大霊界入門記   前編                 



第一 チッ、 再生門 (仮称)         その1                        
                     教主寛大 講述





 無言詞界とは恰も母胎に宿されたる嬰児の其の如く、唯母の腹中にありて発育なす姿と同様にしてやがて、月満ちてここにはじめてすべての形整いて生まれ出でたる姿は、即ち無言詞界より大霊界に一歩印したると同様なりと知らば可ならん。無言詞界より大霊界に生れ出でたるによって名づけて再生門(仮称)と語りたるなり。無言詞界は母の胎内にありて母の教育によって育てられ、其が身心共にそなはりて胎内を離れたる嬰児の姿と変じて此処に移されたるによって、最早無言詞界の母胎は必要とはならざるなり。産みをとされての後は、母の手によって抱かれ母の手によって育てられ、母の口より出づる言葉をりかいして日に日に成長なし行く様を想像して、大霊界を考ふれば自づと理解することを得るならん。再生門(仮称)或は誕生門(仮称)ともみなすもよし。
 赤子は母のなすがままに凡てを委せて飢ゆれば食を訴へ、すべてを唯泣声によって訴ふるの他無けれど、母は其々の変りたる泣声によりて何を求め居るかを理解して、其々の希望を叶へしめ居るも、赤子の無言詞が母の耳目を通じて理解を与へしむる力をそなへ居ることに諸子は着目せざるべからず。今や汝は大霊界に再生して是よりは赤子となりて育てらるるなり。日を経る毎に何時となく赤子も母の声を聞きて母を理解することを得るも、母子相互が無言詞と無言詞の交換によって互いに相知り相交はりて、何時とはなしにその無言詞が有言詞に変り行くにすぎず。例へば汝等諸子は故国を離れて他国に至る時、その国人の言葉は解することは得ざれど、交はりを厚ぅする毎に何時とは知らず、その国の言葉は解せらるるに至るも是みな、無言詞が有言詞に変ぜられたるに他ならず。初めのうちは手真似などによって意志を通ぜしむるにてはあらざるか。是等はすべて無言詞なり。唖に語るに手真似等にて意中を知らしむるは、即ち言葉を手より姿より発せしめ居るにて、言葉とは己が意志を何かの方法によって通ぜしめ居る点より考察せば、言葉とは口より発する声のみにあらざることも推して知らるるならん。大霊界の最初の門は即ち再生門と名づくるも、この事柄を知らしめんがための方便の言葉にすぎず。兎に角諸子は長き年月を重ねて苦み悶え、長き夢を見て色々の苦労艱難の功によって今はその苦患をはなれ、ここに無垢の姿となりて、大霊界に再生したるなり。其后は苦みもなく怪我過誤も愁ひもなく、思ふが儘為してならずと云ふことも一としてあらざるなり。

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