孫の誠悟を自宅に呼んだ

 この孫は今18歳、大学一年生だ。パソコンに精通し、僕のpc に不具合が生じた時にはいつも直しに来てもらう僕の先生だ。今日も来てもらって所々直してもらった。僕は彼に言った「今ここにユーチュブに必要な機材が揃っていたら、お前はユーチュバ-になれるか?」と彼に聞く、すると「僕は出来る」と確言する。僕は更に誠悟に「これこれしかじかの内容のものをネットに乗せたいんだ。内容はこれこれこうだ」と問い直す。彼は「出来ると思うよ」と云う。でも彼は残念なことにあと2、3日で新学期が始まるために学校に戻ってしまう。別れ際に僕は孫に言った「今度帰ってくる頃には爺ちゃんは頭にマイクをつけ、簡単なカメラ、それに一応三脚のスマホのスタンドなど最低限の準備をして待っているからなと言ってその日は笑って別れた。聖書のマタイの福音書の中に「あとの者が先になり、先の者があとになるもの・・・・・・」の言葉がありますがまさしくそれにあてはまるようだ。すっかり僕も馬齢を重ねている。
 僕は夢想する。現在と同様のインターネット機能がもし鎌倉時代にあったなら、隆盛を来した鎌倉仏教の祖師達、法然、親鸞、道元、日蓮などの英傑はもとより、更には南都北嶺のそれぞれの学者達、またそれに連座私淑する多くのお弟子さん達がネットで其々喧々諤々毎日、ツイッターで一日中、己の自説を垂れ流していたならば、鎌倉仏教なるものは果たして今よりも教義を深化させ、目覚ましいほどの発展を遂げていたろうか。そして日本の多くの信徒達の大衆の信仰は果たして深まっていたろうか。現在のネットの世界に跳梁しているのはゲーム、喧騒な音楽、映画、スポーツなどの享楽を鼓舞するものばかりだ。おそらく鎌倉時代に現在の科学的素養をもつもの達が大勢を占めたならば、天界とはどんなところなのかとか、極楽や天国を希求熱望する人達はうんと少なくなっているだろうと思う。あったとしてもいま世の中を騒がせている統一協会とか××の科学などのカルト教団などの似非宗教が多数跋扈しているに違いない。もし当時、人類が原爆やそれ以上の武器が製造していたならば地球の壊滅はもっと早かっただろうな。未知日記の書で貴尊はかってこの宇宙で地球が誕生してから今までに六回滅んでいたことが記載されている。そして今また七度目の累卵の危うきにも立っているとも警告をなされている。ウクライナに端を発した戦争がいよいよ地球文明の終焉を迎えるのか。ああ、いままで時代はその時代々々に即応して丁度いい位に進化してきたのかもしれない。今後地球を生かすも殺すも各自一人一人の双肩にかかっている。その地獄絵図とも云える阿鼻叫喚の大惨事からなんとしても逃れるために全国民が一致協力して真の祈り(厳戒の辞)を真剣に唱えるべき時が来たようだ。たとえ一人一人の祈りの力は弱くとも全国民の多くが唱えればそれは大きな奇跡を呼ぶことになるだろう。

 

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