かって寅さんが言っていた糞尿製造機について

杉下元明さん・・・・・・この方は東大出の日本文学の学者さんです。
第30作目  花も嵐も寅次郎より 1982年製作 

監督.脚本は山田洋次さんの作品です。
 この作品で寅さんは、恋愛ベタの青年・三郎(沢田研二)から、恋の手ほどきをしてほしいと頼まれる。三郎青年から「あなたは恋をしたことがあるんですか?」と問われた寅さんは、準備段階の脚本においてはこう答えている。


「俺の人生から恋を取っちまったら何が残ると思う?ただ飯を食って屁をたれるだけのうすみっともない獣よ」


このセリフが、映画完成版では下記のように変更されるのだ。


「俺から恋を取ってしまったら何が残るんだ。三度三度飯を食って屁をこいて糞をたれる機械。つまりは造糞機だよ。」
寅さんの会話から、杉下さんは次の様に述べられている。


「日本言語史上において類を見ない「造糞機」なる破壊力抜群の単語がここに生まれるのである。この特異な言語センスはおそらく渥美清のものであり、彼のアドリブによって脚本がこのように変更されたのではないかと私は考えている」と杉下さんは述べている・・・・・・



 さて、この寅さんの映画は今から40年前に製作されている。当時上映された頃、上記のセリフが寅さんの口から放たれた。僕はこの映画を見ていて思った。山田洋次監督はひょっとして未知日記の書を読んでおられるのかな。それは今から80年前に地球に下された未知日記の書の中で、貴尊は人間とはなにか?との一項の中で、その答えは現在の地球人類はすべて糞尿製造機であると辛辣なことを仰せられていたからだ。釈迦キリストは言うに及ばず、どんな偉人聖人と言われる人も、又世上、現在多くの人より尊ばれている哲学者も政治家もまた然り、又まさしくこれこそ天女ではあるまいかと思われいる女優の美女と呼ばれる人々も皆すべて糞をたれて糞尿製造機であると仰せられていた。未知日記の教えによればこの地球人類の現在の置かれた位置を、全宇宙に生息する人類全体から特定するならば、およそ八〇番目の低き位置に置かれるそうだ。僕達人類より僅かに数段階上位に置かれる人類達は食べたものは完全消化され、身体の表面からすべて気体となって排出され、一切の汚物などは少しも放出されない肉体にまで進化しているそうだ。宇宙の先達の人類から見れば、僕達の肉体構造はまだまだ発展途上にあるチンパンジーや猿人、その他の獣類と少しも変わらぬ貧しき形態なんだ。そんなレベルの人類が生意気に「やれ神は死んだ」とか「我々は宇宙の中で最高至福の知性を持つ選ばれた人類などと豪語している」。もういい加減そんな茶番はやめたらどうだと言いたい。自慢高慢は智慧の行き止まりとも云う。これでは人類の進化はこの程度で止まってしまうからだ。僕達人類はこれから未来永劫何億年、いやそれ以上の時間をかけて、幾十世代かの未曾有の時を経て、もっともっと進化の道程を歩んでいかなければならないのだ。それは僕達人類が人として生まれ、神様より与えられた大いなる使命、天命を持つからに他ならない。皆さんはどのようにお考えになられるでしょうか?この未知日記全集の中の帰途案内記一冊をお読みになったなら、肉体の変化発展はほんの序の口、この書を読まれることによって、それ以上に肉体精神の両道で発達した真の人類の姿形を知ることになり、きっと皆さんは驚愕されることでしょう。折角授けられた短い私たちの命、あの櫻花が散らぬ間に是非とも読まれることを祈っています。

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