第二十二回 「正観さんの最後の著書 淡々と生きる」より 「病を得てわかったことその②」 小林正観 著作

正岡子規の写真 
正観さんのお話・・・・・・


 その言葉を目にして、「そうか、現役で死ぬというのは、まだまだだな」と私は思い直しました。生きることに執着はないし、死ぬことは平気ですが、平気で生きるというのは、そんなにわかつている話ではなかったのです。本当にわかった人は、なにがあっても平然と生きていく。それが本当の悟りだと子規は言うのです。これは、病の当事者である私にものすごく響きました。私が健康だったら、正岡子規の言葉が永久にわからなかつた。自分が死んだほうがいいという状況に置かれたときに、本当に勇気のある生き方というのは、いつ死んでもいいと思うことではなく、平然と、へっちゃらけで生きることである、というのです。
 この正岡子規の言葉が、そういう状況の私のところに届いたのも、本当にすごいタイミングでした。私は十一月から人工透析を始め、その言葉が届いたのが同じ頃ですから、ギリギリのところです。あの時私が、人工透析なんていうものは受けない、死んでもいい・・・・・そういう選択をしなかったのは、やはりその言葉が大きな支えになっています。
 「ああ、小林正観、お前はえらそうなことを言っていたけど、あの一言がなかったら、安易に死ぬほうを選んだのではないか?」
 そんな声が自分の中から聞こえてきます。考えてみると、神様がいるということですね。

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