言い続けた「ありがとう」が臨界点を超える時  小林正観さんの話 その二

 正観さんの話の続き


  そういう気持ちで、コーヒカップ、皿・・・・身の回りのものを見たら、そのコーヒカップや皿が、優しい気持ち、感謝の心、ありがとうの心で、自分の方に話しかけてくるのを感じたというのです。
 そして、自分のほうこそ、感謝したいという気持ちになっていった。それで、一つひとつについて、「こちらこそ、ありがとう」「こちらこそ、ありがとう」と本当に心の底から挨拶をしはじめた。そうしたら、午後全部を使っても挨拶しきれない程だった。
 それ程、私たちは素晴らしい物に囲まれている。勿論、プランタ-の植物も全部そういうふうに、ありがとうの心で自分にかかわつてきているのがわかつたそうです。
 感謝の心と言うのは「謙虚さ」なのです。そこにある物一つによって私が生かされていて、食べ物や水にも恵まれていて・・・・と言うことが解った時、本当に全ての物に心の底から感謝するようになつた。
 それは私の解釈では、「ありがとう ありがとう ありがとう」と、ずつと言っていたため、この物に入っていた寝ていた魂が、起きはじめた。そして、ありがとうのエネルギ-がずつとたまつていつたのではないかと思うのです。
 椅子、机、時計、黒板、サインペン、シャツ、ベルト・・・・
そういう物が、「ありがとう」「ありがとう」と言われ始めて、臨界点に達したときに、突然それらの物の魂が、コップの水があふれるようにダーッと「ありがとう」を言い出したのではないでしょうか。
 ある時刻になった時に、皆が一斉にシンフォニーを歌い出したときの感じではないでしょうか。それを耳ではなく、波動や周波数で聞いたその方は、感謝の念の総攻撃に、多分、身体の細胞が湧きたってしまったのだと思います。その方の身体にシャーワのように四方八方からダッ-と降って来た。本人は気が付かなくても、すべての細胞がそれを感じて、有難くてしょうがなくて涙になったのかもしれません。

   

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