五木寛之さんと梅原猛さんの共著「仏の発見」を読んで

先日、梅原猛さんと五木寛之さんとの対話本を読んでみた。
五木寛之氏曰く、
「ブツダの時代、その当時は、仏教という言葉はなかっただろうけれど、仏陀の死んだあと、その教えが編纂されて文字になるまで、百年ぐらいの間、仏陀の言葉が歌になって、口伝で伝えられてきた。中村元さんの翻訳された仏教の経典を読んでいると、やたら同じ言葉の繰り返しが多くて、変だなこれは、と思うんだけど、あれは歌だからなんです」
梅原猛曰く、
「そう仏教の経典は繰り返しが多いです」
五木氏曰く、
「ビートルズの歌の終わりのところの繰り返しと一緒で、リフレインなんですよ。調子がいいから、みんなで歌う。そういう歌の形でやっていたのが、結局、初期仏教の言葉なんです。耳から入っていた言葉を整理して文字にしようということで集まって、人々が経典を作りはじめるわけですから。仏陀の教えは、最初は歌でみんなの間に伝えられていたですよ」
梅原猛氏曰く、
「西洋の思想家はイエス伝を書いて死ねと云われているけど、私は仏教徒だから釈迦伝を書いて死のうと思ったけれど、釈迦伝は難しいんです。印度人のことは日本人には心からわからないんです。まあやっぱり死ぬ前には親鸞伝を書こうと思いました・・」
五木氏曰く、
「分子生物学など新しい分野が異常に進歩して、徹底的に「神なき世界」が証明されてきましたね。以前までは、警告のように「神なき世界が来た」とか「神は死んだ」と云っていたのに、今はもう生まれた時からすでに「神様は死んでる」という状況ですからね。そういう科学者の感覚に対して、今まで通りの浄土とか、阿弥陀如来とか、そういうことを言っても全然通じないと思いますね。私は感覚的に受け付けないと思います。何か従来とちがった物語が必要だという気がしています。だから必要とあらば、新しい大乗仏教というのを創り出さなきゃいけないんじゃないかと思うんです」


皆さんは二人の会話をどのように思われますか。梅原さんはもうお亡くなりになられたから、せめて五木寛之さんにはこの未知日記を読んでいただきと思います。

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