父祖の足跡20  二匹目の犬の名前はジヨン

 四十年程前、二匹目の犬は僕の兄からもらったものだ。兄は知人からメス犬を譲り受けて育てていた。名前はルイ。やがてその犬はシェパ-ドの様に大きくなり、庭に常に放し飼いにされていた。しかしその犬は顔に似合わずとても大人しい犬だった。僕にもよく懐いた。でも時々垣根を越えて脱走し、近隣の家々の玄関にあるスリツパ-や靴などを片方ずつ咥え、自分の犬小屋の前に並べる習癖があった。そのたびに兄は近所の家々をあちこち回り、家人に低頭しスリッパ-を返しに行っていたもんだ。やがてその犬は妊娠し七匹の子供を産んだ。兄は福井駅の待合室にその子供達を全員車に乗せて連れてゆき、犬を育ててくれる人を何日間も根気よく探し求めた。どうにかその子犬達は貰い手が決まり、最後にその中の一匹を僕がもらい受けた。名前をジョンとつけた。当時、僕の子供は小学二年生の男の子と保育園に通う女の子がいた。二人は良く犬を可愛がり夕方の散歩を楽しんだ。そして公園で二人の子供をそれぞれ公園に据えられている器具などに隠し、犬に二人を探す遊びもやった。犬の嗅覚は大したもんで、すぐに子供達を見つけた。ある夜、九時過ぎに僕は二人の子供と犬を連れて散歩を終えて帰宅した。場所は近所の毘沙門さんの境内であった。子犬は僕等を追いかけ無我夢中遅れじと走って来る。その時、滅多に車が通らないはずの道路でジョンは車にひかれた。即死だった。車は止まらずそのまま走り去ってしまった。夥しい量の血を吐血した。僕はその子犬を抱えて帰宅し、まる一昼夜線香と蠟燭を灯し、下手なお経をあげて弔った。子供達も横で涙を流して悲しんだ。翌朝には彼の身体はすっかり硬直し冷たくなっていた。
後年、息子夫婦が飼っていた犬も下の子が小学校の卒業式のその日にまるで自分の勤めを果たし終えたかのように亡くなった。その日は息子夫婦は仕事の為、当時四歳(洋犬、名前はクッキ-)になったばかりであったが、僕の妻に介護を頼み、妻の膝の上で亡くなってしまった。本当に眠るように少しの苦しみもなく死んでいった。人間も斯くありたきもんだ。未知日記によれば動物達の魂は人間の様に迷わず、すぐに他の母胎に宿ると説かれている。
彼等は人間の様に他を妬まず羨まず、名誉欲ももたず、そして金銭の奴ともならずして、心身ともに晴れ晴れとして死を迎えるのだからさもありなんと思ふ。クッキ-の最後の日は眼に涙を浮かべ妻にまるで感謝するかの如く、妻の顔をじっと見つめ旅立っていった。

×

非ログインユーザーとして返信する