観音さまの話   ひろさちやの観音講 その二

<ひろさちや先生観音様の講義の続き>


先ほど観音様は三十三の姿に変身なさると申し上げましたが私がその中でいちばん大事だと考えるのは次の六つです。
まず一五番目の比丘身(びくしん)男子の出家修行者、つまりお坊さんのことです。
次に十六番目の比丘尼身(びくにしん)、女子の出家修行者つまり尼僧です。そして三つ目に十七番の優婆塞身(うばそくしん)男子の在家信者のことです。四つ目が一八番の優婆夷身(うばいしん)、女子の在家の信者。五つ目に二三番の童男身(どうなんしん)、小さな男の子。六つ目に二四番の童女身(どうにょしん)、小さな女の子です。
この六つがなぜ大事かというと、この六身にすべての仏教信者がふくまれているからです。
従ってこの六身こそが観音様の変化身の基本形だと思うのです。
観音様はこのように六身に変身して娑婆世界に苦しむ人間を救いにきてくださるのです。
浄土は私たちが死んだ後に行く世界・・・
それがこれまでの仏教における常識です。
たいていの人がそう考えているはずです。しかし、私はどうもつむじ曲がりなのか、いつも常識に異を立てたくなるんです。
そこで私は逆に言ってみたいと思います。

すなわち浄土は私たちのふるさとである、と
私たちは阿弥陀仏に言われてこの娑婆世界に修行に来たのです。
娑婆世界にはさまざまな苦しみ悲しみがいっぱいあります。
お釈迦様が教えられたようにこの娑婆世界は本質的に苦の世界なのです。しっかりとその苦に耐えるために・・・
娑婆世界が楽の世界であれば私たちはここに来る必要はないのです。同じ楽土であるお浄土の世界にいればよいのです。
私たちがお浄土をはなれてわざわざこの娑婆世界に来たのはここに苦の学校があるからです。
私たちはここでしっかりと苦を学ばなければなりません。
苦しみや悲しみにたえること、それが勉強であり修行なのです。
ふるさとの浄土ではできない修行を私たちはこの土地でさせていただくのです。私たちは悲しい別れを体験しなければなりません。お釈迦様はそれを愛別離苦と云われました。愛するものと別離せねばならぬ苦しみ・・・・・・
娑婆世界には別れの悲しみ苦しみあるのです。

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