父祖の足跡 17  父母から送られてきた50年前の現金書留封筒の束



 僕には孫が二人いる。上の子は今年三年生になり、下の子は今年からピカピカの新一年生。上の子はここ一ヶ月ほど車にフイシングボートを乗せて高知の海へ長期遠征の旅。上記の写真は彼のブログから借りたもの。昨日息子の家を訪ねたら、案の定まだ兄の方は旅行途上で不在だった。嫁と下の孫とを交えて暫らくの間談笑。僕は嫁に聞く、二人大学生いると毎月の仕送りは大変やろな。いくら送金しているんだ。するとそれぞれに××ずつおくっているとのこと。「私の給料はもうスッカラカンですわ。お父さんの場合はいくら送金してもらっていたんです」と聞く。僕は当時毎月2万四千だったと話した。バイト先は雪印乳業の倉庫とかサントリビール会社のビール製造部門。およそ一月の間、七日から十日ぐらい毎月そこにアルバイトに通った。当時はどこも一日中働いて日給千円だった。サントリーでは検査の結果でた不良品のビール瓶を何本かもらって帰った。ビール瓶に小さな傷があったり、小さなゴミが浮遊している商品だ。下宿にそれを持ち込み、それを下宿仲間数人で飲んだものだった。
家に帰って本棚の隅に置いてあった50数年前の父と母から送られてきた現金書留封筒の束を一つずつ開封してみた。40枚以上あった。そこには懐かしい父母の筆跡の手紙があった。家庭内であったこと、町内での出来事、大雪で苦労していること、大きいおばあちゃんの健康のことなどが縷々綴られいた。そんな手紙を読み返して目頭が熱くなった。現代の親御さん達は現金の送付はスマホーを使い、こんな書留送金方式は誰も使わないんだろな。でも残念ながら親からの手紙が残らない。その時、松陰の「親思う心に勝る親心の一句」が頭を過ぎった。僕はいままで親からうけた御恩の、その万分の一の孝行もしていないことを知った。この古びた封筒等は僕だけの宝物だ。僕はそれらの封筒を箱に入れ、それらを伏し拝み、仏間にしまった。そうだ、明日は久しぶりにお墓にお参りに行こう。

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