宇宙からの訪問者 NO29  小説 円海翁の最終行、天界への昇天

役行者像
 
  「我、彼の法力を見るに決して優れたるにあらず。寧ろ汝等の業は優れたり。しかるに効果の点に至っては到底汝等の及ばざるところ。これはきっと彼の天分のしからしむる所と思っていた。しかし、今漸く我も合点がいった。即ち、彼はすべてを活かして用いおるなり。言葉も呪文も活かして用いおるなり。汝等の行法は活かさんとして業を行っているが、彼は最初より活かして用いおるなり。活かすと活かさんとなすとの相違は、かくも隔たりあるならんかと我も教えられたり。活きたる行、活きたる呪文、さては言葉に至るまで彼は活かして用いおるなり」と老師は語られた。
 雄哉君、これが仙人達の修業生活の一端だ。少しは勉強になったかい。僕はこの話から多くの事を学ばせて頂いたよ。まだこの他にも沢山の逸話が書かれている貴重な本だ。しかし、これ以上は残念だが円海翁との約束もあって公開することはできない。こうして長年の苦行を経て弟子達は師より色々な法力を授けられ、それを実践することにより、君達も知っている釈迦、イエスが行った奇跡のすべてを行うことが出来るようになるんだ。確かに釈迦もイエスもこの地球が生んだ素晴らしい大輪の花には違いないけれども、銀河系宇宙、その辺境の星、その地球の山里深くに密かに隠れ住む日本の行者の中にも、彼等と比肩して勝るとも劣らぬ無名の人達が過去、幾万人も輩出してきたのもまた事実だ。君達の星の人達は、釈迦イエスの死後、彼等に威厳を与え、まるで神仏の化身の如く装わせ、彼等を遇し伝説化してきたんだ。その結果、この地球にいまの二大宗教が生まれたわけだ。イエス自身も当時語った神の世界観を、後継の宗教者達が著しく歪曲し、針小棒大なさしめた結果、後世多くの過誤を生んだといつている。今一度彼等が再臨することがあったなら、これまでの宗教者達の過ちを徹底して悔い改めさせたいとも云っていた。
 仙人達は空中浮揚して空を飛ぶことが出来る。勿論、水上歩行や病気を治したりすることはいとも簡単に出来る。又、一身二体法と云って自分の肉体をここに置きながら遠方の地にそれを現出させたりすることも彼等には可能だ。行者を見ていると人間の可能性は底がないほど深い。君達は人間を単に肉体だけの存在と考えているから、真実の人間と云うものを見誤るのだ。潜在している魂の力を真に覚醒させることによって、そこから無限の力が湧出してくるのだ。君は今まで魂の大きさを人魂(ひとだま)のような風船みたいなものと思っていなかったかい。人間に与えられた魂はそんなちっぽけなものではないよ。魂を肉体の何処かに宿していると考えるから、魂そのものを矮小化してしまうのだ。そうではなく、魂という大きな母胎の中に肉体を置いていると考えた方がいい。そう考えることによって、本来の魂の力をより引き出すことが出来る。これからは自分の持つ魂を卑小化するのはよせ。魂こそ自分自身の本来の親なのだから。これを見つけ、それを磨くことこそが人生の究極の最終目標なんだ。円海翁は天より帰り来れの命を受けて、チベットの深山に身を埋めて、見事に天界へ帰還なされて、今はヂショウ.サンキョウ.インショウ.ミキョウ貴尊として天界で働かれておられる。この十流界の世界から多くの階梯を一気に駈け抜けて、天使としていまは無言詞界で修行されておられるのだ。

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