宇宙からの訪問者 NO25  小説 行者道、円海大師の足跡

 雄哉君、この山岳信仰というのは、日本では大峰山が一番有名だね。修験道の開祖と云われる人は平安時代に生を享けた人で、少年時代に出家した役行者(小角)と云われる人だ。後世、歴史上有名な西行法師もまたこの山岳宗教に挑戦されたみたいだ。
 さあ、入門を許された男にどんな試験が待ち構えているかというと、まず高い山の頂に兄弟子に連れてゆかれ、ここから谷底めがけて飛び降りよと教唆される。眼下を見れば雲霧が漂っていて、まさにそこは千尋の谷底だ。彼は怯んだ。兄弟子は云う、「お前は生きとし生ける者、すべての救済を願って、行者としての誓願文を起草したではなかったのか。ならばいまさらなにを憚ることがある。さあ、死ね。一気に飛び降りてみよ」と鞭をもって彼を打たんとする。彼は眼をつむり、南無三の一声を残し、蛮勇をふるい千尋の谷底に飛び降りた。 なんと十メートル下は長年の間、落ち葉が積もり積もって柔らかく堆積していたのだ。それが彼の命を抱き留めた。彼は自分がまだ生きていることを知り、天に向かって暫くの後、彼は瞑目し、そして涙し嗚咽した。その涙は従来の彼の持つ生死観を大きく一変させた。その試験が終わり、続いて彼は一週間に渉り断食をさせ、徒弟は翌日彼に弁当を持させ、山へ行き、山の枯れ木を集めるよう命じた。昼に弁当を開こうとしたその矢先、突然乞食が現れ、彼にその弁当をねだる、それを快く乞食に施し、暫く仕事をしていると大きな熊が現れ、彼を喰わんとする。彼は大の字に寝て、「さあ、我を喰え、我を喰いて、お前の身の養いとせよ」と熊に身を捧げる。熊は彼の頬と胸を舐めまわし、あとはなにもせずその場を立ち去って行った。そして暫くすると刀をもった山賊が現れ、彼の生肝を取らんとする。これにも平然と身を任せ、「我の生肝を取るなら取れ」とその場で結跏趺坐の構えをとり、両手を合わせ統一を試みる。山賊は彼の平常心を見極め、入門の為の試練がすべて終わったことを彼に告げる。さあ、それからがまた大変。本当の行者になる為の本格的な修行が始まるのだ。この時、入門を許可された印として、彼は師の坊より円海という名前を授けられた。
 さあ、どんなことをすると思う。例えば木の枝に足首にくくりつけ、一昼夜逆様にぶら下げられるのさ。強靭な肉体を持つ行者達も最後は悲鳴を上げ、気絶してしまう。なぜなら大量の吐血は勿論、鼻、眼からも出血するのだからね。又冬の厳寒の時にも、凍った滝の水に身を凍らせ、一時間もの間、白衣一巻で滝壺におるのだよ。初心の者はみな悶絶してしまう位だ。それでも老師は気絶した弟子の身体に鞭を当てるのだ。これは一見、非情のように見えるかもしれないけれど、老師の「覚れよ」という慈悲のこもった鞭なのだ。なぜそんな荒行をするのかって、それは肉体から魂を脱魂させた時に、肉体が苦しむことのないように日頃から肉体を鍛錬させているんだ。肉体を強靭にしておかなければ、脱魂の際の苦しみは想像を絶する程の苦しいらしい。人が死を迎える時の断末魔の苦しみを軽減させる為の荒行なのだ。彼等行者達は師の鞭を厭うどころか、逆に鞭を打たれないことをとても悲しむ。  

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