宇宙からの訪問者 NO24  小説 日本の仙人について

  雄哉君は日本の仙人についてなにか知っていることはあるかい。日本で有名な仙人の名は役行者、又の名は役小角と呼ばれ、神変大菩薩として一般大衆より厚く尊崇され伝説化された人ぐらいだろうね。僕達宇宙人と呼ばれている者は、この地球世界とも古くから地球人類と交信してきたんだ。その相手とは君達が仙人と呼んでいる人々のことなんだ。ほらこの近くに白山というお山があるよね。そこにも昔から仙人達が住んでいた。数は十人もいなかった。日本で一番多いのは奈良県の大峰山中におよそ百名近くの修行者がいた。山形の月山にも少なからずいる。彼等は登山者が近づいてくると、巧みな法術を使い、決して彼等の修業場、住処などへは決して近寄せない。今もこの地球世界にはおよそ一万近くの行者が人知れず、深山に隠れ住みこの地球世界の運行を監視監督しているんだよ。大昔はもっと多くの行者達がいた。この仙人達は当然手紙などの通信手段を用いずに瞬時に互いの意思を疎通させている。そして彼等の力ある祈りの力でこの累卵の危うきにある地球の危機を幾たびも救ってきた。今思えばどれほど危ない状況があったか知れないほどだ。テレビや新聞で報道される以前にその危機をキャッチして、未然に阻止してしまうのだから、一般大衆には知る由もない。彼等は誰に褒められることもなく、いわば縁の下の力持ちを自ら勝手に請け負うわけだ。勿論、僕達も彼等と一致協力してこの地球の為に働いてきた。雄哉君、僕が仙人の話をしたものだから、少し呆気にとられているみたいだね。しかしこれは重要な話だからよく聞いてほしい。
 確かに、今の日本の国で、仙人の存在を信じているものは皆無、誰一人としていないだろうな。僕がこの日本に前回来たのは今から百六十年前、その時にこの日本で知り合った男がいた。丁度時は江戸時代の中頃、元禄年間と云われていた。ほらあの赤穂浪士の討ち入りの頃だ。その男の父親は今の高知県の土佐の藩士だったそうだ。その父親は何かの事件に巻き込まれて、何者かに討たれて亡くなってしまった。息子は藩の殿様に訴え出て、仇討の旅に出た。仇敵を求めて日本国中を彷徨い歩いたそうだ。いっしか路銀を使い果たし、乞食の風袋をして、野に伏し、文字通り樹下石上の日々を敵を求めて幾年も過ごした。ある時、釈迦生誕を祝う式典が田舎寺で行われ、ふとそこに立ち寄った。その男はその「天上天下唯我独尊」を称える釈迦牟尼像をじっと眺めていたら、旅のお坊様に突然声をかけられた。
「お武家、少し話したいことがある。貴殿はひょつとして仇を探しているのではないか。そのことが貴殿の人相に現れている。例え誰の仇であるにせよ、それを討ち果たしたとしても、果たしてそれで妄執がとれるか、殺された身内の者も又仇として、貴殿を追いかけるのではないか。こんなことを永久繰り返して一体どうなるものか」と
この話を坊様から諄々と説き聞かされ、その男は一大決心をした。仇討を諦め、故郷をも捨てて僧になることを決心したのだ。そこで旅僧からある臨済系の禅寺を紹介され、そこに引き籠り、数年の間、禅の修行を真剣に行った。しかしそれにも飽き足らず、彼は比叡山に登り、修験者が行う千日回峰の行に挑戦した。
 雄哉君、君もどこかでこの千日回峰の話を聞いたことがあるだろう。修行僧は朝二時に起きて、午前九時頃まで険しい山坂を登り下りする、それも毎日三十キロの行程がある山野だ。途中に百か所の礼拝する場所があって、そこで立ち止まり短い経文を読誦する。雨の日も炎天の日も、嵐の日も続けるのだ。一年に百日から二百日を目標にして七年で満願の千日になる。七百日以降は京都の方面にも足を運び、一日百キロも踏破する。しかも満願の後、九日間の断食、断水、不眠、不臥の行が待っている。彼はこれらをすべてやり遂げた。この千日回峰行を行った行者は過去に日本に幾人もおられなかった。しかし彼はこの荒行にも心癒されず、最後に山岳宗教に道を求めた。丁度、僕はこの頃に彼と山中で知り合い、それ以後の彼の生き方をずっと見つめてきた。彼は三十歳を少し過ぎた頃だったと思う。彼は大峰山中奥深くに進み、行者達の住むところを探し求めていた。そしてようやく仙人館を見つけ、そこで行者になるための誓願文を書き、入門の許可を得た訳だ。その誓願文とは一切生きとし活きる諸々の衆生の為に自らの命を犠牲とさせて頂くとする誓願書だ。さあ、これからがより大変な試練が待ち構えているのだ。

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