未知日記   絶対界   神霊界   天眼地眼通のこと    テツシン貴尊講義   2021.03.03


未知日記  第十一巻   絶対界   神霊界   絶対自然の大法 テツシン貴尊講義   2021.03.02


 絶対自然の大法を正しく認識せばその法に基きて、法力は自得すること難きにあらず。この大法を認識することあたはざるによって、心は動揺し迷ひは深くなるなり。迷ふが故に甘きにひかされ、苦きに屈服する結果となるなり。大自然はすべての人類悉くに与へられたる大法なれば、みなそれぞれの分野に対してその道に順じて、生活なし居らば決して束縛さるるものにあらず。故に自も他なり。他も自なりの関係となる。自他共に一如の生活を自由になし得るは大自然の法則なり。己の分を知らずして他を羨む限り、慾望はおこりて為に不自由のなわめに縛られ、遂には身を亡ぼす結果となる。是即ち自然より遠ざかる故なり。己向上せんとならばその分の程度を向上せしむる法もそなはりあるなり。その法に従ひて尺度をのばしなば分度は延長して、己の位置も従って高くせられ行くは、是又大自然の法則なるが故なり。斯るそなはりあるに不拘、その大法を知らずして、己自ら法則を計るによって、一本の針につり上げらるる結果となるなり。一度教へを受くれば衆をあつむべし。自ら法則を定むることなかれと云へる言葉もあるなり。是等の理に基きて共に共に手を携へて、世に処するならば衆悉く安かるべし。衆安ければ自も亦安し。教へを受くるとは即ち智慧を磨きて大法を知れよと云ふことならん。その大法によってさとりを得るならば、ここにはじめて絶対の大自然に順応することを得るなり。
 形なきものの力より現出し来る無形の働きが、有形のものに対して変化をあたへしむる力あるも、是自然の法則より湧き出づる現象ならん。智慧は無形にして有形にはたらくが故に、智慧の力は無限なるべし。此理に基きてすべてを考察するとき、智慧は有形に属するか、無形に属するかに迷ふならん。即ち有無一体の関係あるによってなり。有無一如とならばそは絶対の境地に置かれあるものならん。然りとせば智慧は即ち絶対に属すると見るも差支なからん。例へば智慧を零と見なして考ふる時、零の数が増すに従って形を有する一は、次第に上昇し高く広くなり行くは、数学の法則なるべし。是と反対に一が下方にありて零の数が増大するに従って、その一は次第に小さくせまくなり行くも、是数学の法則なるべし。零の広がるに従って数に増減を与ふるも、これ零の力によることは諸子もよく知るところならん。零によって数の増は上昇を意味し、是と反対に減少するは下降の意味なるべし。然りとせば零のはたらきは、上昇にもあれ、下降にもあれ、自由にして広大無辺ならん。

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