未知日記   第五巻  感応論最終完結編  神の分身  衛藤先生の書かれている慈音さんの修行記録はとても大切なものです  テツシン貴尊講義

未知日記   第五巻   感応論   神の分身     テツシン貴尊講義   2021.02.13


 神の分身は汝等が霊なり。すべて下界の人は、神より授けられたる神の代理とも云ふべき尊き霊を授けられたる神の代理とも云ふべき尊き霊を授けられあるに不拘、その霊を顧ずして他を求め居るなり。恰も我手に確呼と物を握りしめながら、遺失せしと感違ひして周囲を探し求むるに異ならず。汝等斯る愚を敢てなすなかれ。汝等は此世に生を受けたる時、神は分身したる霊を汝等に遣はし給ひあるにて、神は汝等が如何に大声にてわめき、求むるとも霊を措きて汝等を守らせあればなり。
  此理より推してすべて世の中の事を観察せば一目瞭然なるべし。俗言に鰯の頭も信心からといへる如く、信あれば霊は気光素を働かせ鰯の頭よりも光明を放たしむる如きは容易なり。偶像を拝せしむるも大衆の信仰心より現はれし気光素の力が、偶像に斯る力を現はさしむるにすぎざるは自在論、行法にも説きたるごとし。
 禅家の僧、真宗の寺に赴き本堂の阿弥陀如来の像を引き下ろし腰を下したり。是を見たる真宗の僧、禅僧に向ひて云ふよう、
「汝、我米櫃に腰をかくる勿れ」と。禅僧笑ひて仏像をもとに安置す。仏教に於ても偶像は方便なるべし。汝等外を求むるによしなき事を知りたるならん。親なる霊は神の命を受けて汝を守護す。汝、親なる霊に従ひ奉仕なば、神に奉仕るに等し。何を苦んで他を求むる要あらんや。心正しくして霊に仕へなば、霊より神に通ずるによりて迷はさるる憂ひなし。
 心意魂魄霊は気光素を作り、空源力を従ひ化せられて真の神の世界に引き上げられて、光明の世界に入るを許される。是即ち感応のあるに依てなり。斯くの如く神の慈悲は広大無辺にして万物すべてその分に応じて深き恵を与へ給ふ。さればこそ一寸の虫にも五分の魂とさへ云ふ比喩もあるなり。感応について大乗的論説あれども、宇宙及び全宇宙の見解の異なれる真理を知らざれば会得は難し。初心の汝等に説くとも迷ひ多くして、益を得じと信ずるによりて此辺にて講を閉ぢんとす。汝等、親なる霊に依て道を得ば、又一大事を語るべし。汝、速かに親に抱かるる日を我は楽みて待たん。
 次に貴尊寛大によりて教へを受くる光明界の論説はミキョウ、テツシン共に聴聞せんとす。汝等、心して拝聞すべし。


自昭和十九年十二月十一日

至昭和二十年四月十九日


 感応論 完


伊東 慈音について   衛藤慈声 著


 未知日の著者、慈音は奈良県吉野郡川上村字武木に生まれた。使命を全うした彼は昭和二十八年十二月十八日、七十五歳にて昇天したのであった。
慈音は父四郎の死後その名を継ぐ迄は幸吉と呼ばれて居た。父四郎は商才に長け巨富を蓄積したので自然その生活も派手であった。代議士として国会に議席をもち、交友関係も社会の広きにわたった。
 然し不幸にして少年時代に、酒乱の兇刃をうけ一眼を失った幸吉は残る一眼にも自信を失ひ、遂に意を決して進学を思ひ止まり、東洋音楽を一生の職業として択ぶに至ったのである。然して彼が択んだ恩師中木検校は当時筝曲の第一人者で、東洋音楽に精通し、人物もすぐれた名人であった。幸吉の素質をよくみきはめた彼は、その蘊蓄を傾け惜しみなく且つあますなく己の持てる一切を此弟子に伝へて指導しその成育を助けたのであった。
 幸吉がわづか四年余の短日月の間に東洋音楽の秘訣を授けられ、他の弟子達の誰一人及ばなかった音楽療法の原理を我ものとなし、遊魂すら自在に行ふを得た事実が恩師が弟子に対する愛情を証明して居るのである。もとより東洋音楽は先天の易学、三対四律の法則に依って組織された大気音波観測法である。楽器の演奏の如き、遊芸としてのみ扱ふは全く初歩的技法にすぎぬ。然して二十歳になるやならぬに、伊東中光大検校として幸吉は師より独立を許されたのであった。
 幸吉は幼児より母の感化をうけ、観音を信仰して、年少の頃より座禅に励んだ。大阪在住中、中木師の許にて音楽研究中も、参禅を欠かすことはなかった。然して二十歳前に既に彼は魂眼を開いていた。
 彼、中木大検校が奈良から東京に移住したのは三十代の半ばを過ぎていたが、其は彼の芸術を高く評価した村井絃斎や大隈重信伯爵等のすすめに依ったものである。明治の末期から大正年代にかけて東京に於ける彼の演奏活動はまことに活発をきはめ、時の名人会にて声明音楽の秘曲を披露したり、大隈侯爵家や岩崎男爵家が外人を招待した時には屡々中光大検校に秘曲を演奏させてもてなしたと云ふことである。その証となる手紙が今も伊東家に保存されているのである。
 然し彼の此世に生を享けた使命は音楽以外の処にあった。三十歳をすぎて間もなく、本来短命の生をうけて居た彼をして、使命達成に必要な年月を延ばすために、残る一眼の明を取り上げられ全盲となって居たのである。(三世と四世論参照)
従って次第にこの世での演奏活動を中止すると共に音楽からも遠ざかつたのである。殊にインショウ、ミキョウ貴尊の指導をうけ、心意魂魄霊の五性を一如一体化して霊化をめざす修行は、文字通りの難行苦行であった。常人の追従を許さぬ強固な意志の人にして初めて可能な修行であった。骨身を刻るといふが、そんな言葉ではあらはせるような生やさしいものではなかつた。
 長い月日の間には又様々な曲折を経て、遂に目的を達した彼は、霊耳を以て貴尊方や教主の語る論説を聴取し、自らは行じて其を実証しつつ、其片手間に後輩者のために残したのが未知日記全巻である。然し彼自らはその生存中固く口をとざして何事も語ることを許されなかったのである。無為の常人としての仮面を脱ぐことを許されなかったのである。何故なら彼の到達した霊化の事実、その実力は天願通地眼通なる言葉に依って表現される自由自在の実力は、その片鱗を示めすだけで大衆を惹きつけ、果は無智の大衆の祭り上ぐる処となり一宗一派を形成するの余儀なきに到る経路が見えすいて居たからである。今日世上に存する宗教を「有相」即ち「未だその極ならずして相は有する」と仰せられたる教主は大衆の為に、或種の事情を憂慮されたのである。教主の真意は未知日記を我ものとなし得る人々のみに理解され納得されるものである。以上まことに簡単で不満とされる人々も多いことと思ふが、慈音の地上生活の詳細は「覚者慈音」にゆづり他日を期したいと思ふ。
                  衛藤慈声、附記

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